昨日から兵庫県知事選挙の期日前投票がはじまりました。我々兵庫県民は先月の衆議院議員総選挙に続いて、毎月選挙をしていることになります。笑 ブラジルでも先月地方選挙があったようです。今秋は選挙三昧でございます。
モジアナ線リベロン・プレット駅のタイルアート(リベロン市中央内公園)
文協第六回定例役員会 2024.9.7
協議事項
一、新に別口銀行口座を設ける。
一、コナイ ロドリゴ氏の文協正会員を承認する。
一、公民館の天井改修工事と会館塗装を承認する。
一、モンブカ湖畔の整備。
一、デドネ氏の貸地の監視人として、ミリタンとカーロス警察官を雇う。
【訂正】
9月号で掲載した文協新会員、間野カツシ・カーロス・アルベルト氏に訂正致します。
自由市場(9月15日)
当日の9月15日は雲多き日であった。出店は10店で15名の参加者である。前回と同様の70脚のテーブルと280脚のイスが準備されつ。今回も前回と同様に各店の品々を重複しながら記す。
バナナ、マモン、潰しニンニク、黒ニンニク、メニーナ・カボチャ、レタス、ケール、ブロッコリ、ニラ、レモン、生ニンニク、プチトマト、アスパラガス、茄子、子羊、キャーボ、大根、紫蘇葉、ウリ漬け、大根漬け、ブリオシュ、シュークリーム、散らし寿司、コロッケ、手提げ【和風生地】、タペッテ、タオル地のフキン、カリントウ、摘み饅頭、紋形饅頭、鯛焼き、焼饅頭、蒸し饅頭、ケーキ、ワッフル、花ウメ(ローゼリー)、福神漬け、輪切り寿司、白卵、天プラ、ギョウザ、カリントウ、ミニドーナツ、味付シメジ、花ウメ、シメジ、おにぎり、卵焼、カレーライス、シメジのバター炒め、和風味ゼリー、ススピーロ【コーヒー、レモン、抹茶味】、パリャ・イタリアーナ、大根漬け、酢レンコン、甘ナットウ、マンジョッカ・シュッピス、焼トリ、焼ソバ、ユズミソ、コンブの佃煮、ヤマクラゲ炒め、茄子漬け、寿司、手巻き、詰合せ、刺身、ホット・ロール、焼ソバ、冷やし中華、焼饅頭、弁当、生姜、ギョウザ、ドライ・フルーツ(ザボン味)、モチ・イチゴ・アイス、ブルーデー、ジンジン(練乳+イチゴ、オレオ、ヌテーラ、アメイシャ、チカボン)、弁当、ツマミラッカ、カキモチ(あられ風)、甘ラッカ、リシア・ジュース、ドリンク(ボージカ味)、ハスパジィーニョ、ポウパ・デ・ピタイア、クレープ(ケイジョ、プレズント、チョコレート味)、ピタイアの苗木三品種、水、炭酸飲料水、ビール、焼トリ、カキ氷、スッコ。
今回、初販売品の子羊は子供の番する中、昼頃に売却出来た。支払いは前回と同様で清算される。
カンポリンポ祭
日語教師 林 緑
グァタパラ文協会長はじめ、日本語学校の生徒と教師、父兄と誠グループの子供たち30数名は9月14日にサンパウロ日本人学校の「カンポリンポ祭」に招待されて、行って来ました。朝3時に文協を出発し、8時頃にサ日校に到着しました。益子教頭はじめ、お世話をして下さる教師の方が出迎えて下さいました。荷物を図書館に置いて、8時半から体育館で令和6年のカンポリンポ祭がはじまりました。今年は創立57周年になるそうで、サンパウロ総領事館の領事の方やPTAの理事長の方が挨拶されました。今年のテーマは「カンポリンポの丘で心を一つに輝こう」でキャラクターはコーヒー豆の「ヒニチマン」でした。
2年生から発表が始まりました。「ハチドリのひとしずく」と題の発表で普段は歌ってばかりいるハチドリでしたが、森の人間の火の不始末で火事になってしまったとき、森の動物達はみんな逃げてしまったのですが、ハチドリは水を一滴ずつ運んで火を消しはじめ、森の動物達も協力して、火を消し止めるという劇でした。最初は「そんなことをしても無駄だ。」と言っていた動物達も、ハチドリの「私は私にできることをしているだけ。」という言葉を聞いて、自分たちも手伝おうという気持になるというストーリーでした。次は1年生の「19匹のネコ」と言う、お腹が減った猫がアマゾンに住んでいる大きな魚を探しに行く劇でした。「歩こう」の曲に合わせて元気よく探しに行って、大きな魚をお腹いっぱい食べると言うストーリーでした。次は
3年生の「さあ行こう地球を守る旅に」という、昆虫の環境を守るには人間がゴミなどを捨ててはいけないということを教えてくれる劇でした。
休憩の後はひまわり学級の劇があり、3人で「こんな時どうする」という題でお父さんやお母さんにストレスが溜まったときはどんなふうに解消するかという内容で、たくさん寝るとか、誰かに話すとかクイズも交えての楽しい劇でした。次の4年生の劇は「ニュースカンポリンポ」でトゥカーノが現れたこととか、遠足や運動会など一年間の出来事を発表してくれました。
5年生は「浦島3兄弟」という劇で、3兄弟が亀に乗せてもらって竜宮城につれて行ってもらうと言う、現代版の浦島太郎の劇でした。乙姫様の踊りも今風のダンスで上手でした。
6年生は「理科保険体育の仕組み」という題で、体の臓器の役割を一人々作った臓器を持って説明してくれました。
その後、グァタパラ日本語学校も20分間の発表の時間をいただいたので、日本語学校生徒の「ダンスホール」と誠グループの「よさこい」の発表をしました。中学生は全員で「旅立ちの時」の合唱と「サ日校の不思議発見というニュース」を見てクイズで1977年に写生大会が始まったこととかを教えてくれました。
全校生徒の発表が終わって、次は全校サンバです。グァタパラ日語学校の生徒もお米の入ったペッチを振って、みんなサンバの曲を演奏しました。それから「Festa de Campo Limpo」の歌でカンポリンポ祭が終了しました。図書館に戻り、サンドイッチを頂き、沢山の教科書やチョコレートまで頂き大変お世話になりありがとうございました。来年こちらのホームステイでお会いできるのを楽しみにしております。
カンポリンポ祭りの帰りに、イビラプエラ公園の日本館によって、沢山の錦鯉も見ることができ有意義な一日でした。教育委員会の役員の皆様には大変お世話になりありがとうございました。
長寿会創立50周年記念
去る9月21日、長寿会では創立50周年記念並びに第3回誕生会を祝った。受付に多田夫妻が来場者を受付て居り、会場は四角に囲み、開会時には男性会員12名、女性会員20名の参加者であった。
7、8、9月生れの誕生者、来賓者には赤いバラの花をあいしらったリボンを胸に付け、来賓者は高木ウイルソン文協会長、渡辺千代子婦人会々長、落合としえ副会長。
式次第があり、近藤四郎副会長が11時20分から開会され、黙祷、老人クラブの歌等に進み、田中万吉長寿会々長の挨拶では、皆さんに多大なる感謝、移住地に住み慣れた事、そして12年前に長寿会に入会した折には、日本から家長で入植された方々が多勢でしたが、殆どの方々が鬼籍に入られている。50周年の記念植樹ラタニア(ヤシ科)は、すでに公園に植樹してある。
高木文協会長の挨拶は先輩に感謝。
該当する誕生者の案内があり、池津勝治、雪本順子、吉永文子、伊藤愛子、多田京子、中塚洋子の各氏。誕生者にはランの鉢のプレゼントがあり、代表して雪本順子さんに手渡される。
乾杯を監事の多田博氏が乾杯、ビーバー、バンザイの三音頭を取り祝賀会入りする。
会食が終了する頃、隣の方々との対話となり、私【編集者】の右隣は前会長の佐伯知治氏で、前に置いてある老人クラブの歌の歌詞、これを手に取り以前は会員名簿と合せてシャツポケットに入るサイズで作られていた。また、佐伯氏が副会長を引き受ける以前は全て手書きと言われた。公民館二階に保存されてる1990〜2004年の14年間、長寿会保存資料に目を通すと全て手書きであった。その年の書記の方か、副会長総務がつぶさに記録されている。その後、佐伯氏の副会長時代からの記録はコンピューター化されたと言われた。
左隣の中塚洋子さんとは僅かの会話で、父方が北海道出身、母方が山形県出身、生誕地はパウリスタ延長線のマリリアと伺う。その後長寿会三役に、「女性史」、今までの移住地記念誌は夫が主体で、夫人は内助の功。以前サンパウロ新聞の松本浩治、ニッケイ新聞の堀江剛史(よしふみ)両記者に、殆どの入植記念誌では男性の記録が大半で女性の記録は希薄であるので、纏めたらとすすめられたので今回提案してみた。
食後の腹こなしかカラオケが始められる。その後、ビンゴを6回程行われた。
誕生者のケーキカットとなり、代表して伊藤愛子さんがケーキカットされた。
最後に会員全員に50周年を記念してランの鉢が贈られる。
初参加で気付いた事は、各区から比較的年齢の若い連絡員の方々が弁当、飲物、デザート、ビンゴの数表、その上ケーキをスライスして器に入れ配る、甲斐がしく動く至り尽くせりの接待、歩く事も殆どなく、まさに上げ膳、据え膳の歓待であった。
さくら丸同船者会開催
脇山 すみ代
2024年5月19日第61回さくら丸同船者会が開催された。
1963年5月14日第13陣、13家族が当移住地に入植した。
現在健在の家族は、小山田喜八郎さん、茂木常男さん、吉永利行さん、植田修光さん、タクアルチンガの水田さん(兄妹)、林絹子(旧・菊池)、長谷川やえ子さん(旧・白水)現在リベロン・プレット在、鈴木みゆき
(旧・植田)現リベロン・プレット在、脇山すみ代(旧・植田)、高木敏江(旧・植田)、他、白水ミサさん。
全家族と孫達、そのだんな様達も出席してにぎやかに祝いました。
孫達が同船者、移住者という事を少しでも理解してくれたらと願いながら。
61年前にさくら丸でサントスに入港した皆さんと記念の写真を写しました。
赤ちゃんだったり、子供だったりとなつかしい話題がいっぱいでした。車イスの林さん写真のはしに写っています。
今年一番長寿の小山田喜八郎さん(うさぎ年)97歳は、同船者現在トラトールのロッサをかけ、近所や知り合いの方にあぶないと心配される程、お元気です。毎週金曜日は車を運転して奥様を横に乗せ、スーパーに買い物に出掛けていました。
吉永さんのお母さん長寿98歳は不運にも転倒され、亡くなりました。
さくら丸同船者会は健在者が居るかぎり、続けていける事を祈るばかりです。
左から高木敏江、後ろ吉永利行、前・植田修光、後ろ水田(兄)、小山田喜八郎(97歳)茂木常男、前・小山田しげ子、後ろ水田孝子、前・茂木しげ子(同船外)、脇山すみ代、前・長谷川やえ子(等氏の奥様)、後ろ鈴木みゆき、右・長谷川等(同船外)各氏等。
地方選挙
10月6日は地方選挙日である。グァタパラ郡では市長選に3名の市長候補、また市会議員には88名の市議候補者が凌ぎを削って出馬している。
移住者子弟も一名市議候補に出馬している。各候補共々ご健闘を祈ります。
グローボ局ドミンガン・コン・フッキ
先般のドミンガン・コン・フッキ番組に、渡辺新一・恵美夫妻長男賢造君(11歳)がマリスタ学園の学校推薦で、一千人の候補生中1組3人で24組が選ばれて、各々の組がトーナメントで競いあった。質問では45秒と60秒内に答えて、立体絵の数を当てる、文字が解体されたものを読み当てる、数字の同色数を足して合計を当てる、国旗で国名を当てる。その他幾つかの質問。決勝で負けたが、落ち着いた対応には目を見張る。
知能指数も高いと言われたが、親からの話では本人はよく努力する子だと言っていた。
大変おしかったです。
第五十六回敬老会
毎日37〜38度の猛暑日、婦人会では恒例の敬老会を去る9月29日に開催された。会館内はエアコンが稼働し、外部とは別世界であった。
現在の婦人会員数は23名で13名の方が70歳以上であり、70歳以上の敬老者が95名と言われる。
午後2時15分に三役の井上美紀子さんから開会が知らされ、元気で今日を迎えたとされる。この時点で敬老会参加者男性17名、女性27名と車椅子で一名参加され合計45名の方々であった。一般来場者もあり、準備されていた席も殆ど満席だった。
式次第があり、先亡者に対して一分間の黙祷を捧げる。
渡辺千代子婦人会々長の挨拶では、緊張しているがと言われる、でも充分挨拶され、今年は婦人会創立60周年の年であり、そして生活向上が婦人会創立の一つの意義と言われ90人の参加で始まったとされる。今回の敬老会も少ない人数の中でも、最終時には何とか出来たとその努力を知らされた。
高木ウイルソン文協会長は敬老者に感謝し、開催した婦人会々員の労を謝される。
長寿会々長田中万吉氏は活力を頂き感謝されるとした高齢者の大塚秋子、金箱なつ、小山田しげ子の各氏に記念品が贈呈。また、敬老者全員にも記念品が贈られた。祝賀の乾杯には新田和美監事の乾杯、ビーバーの音頭となった。
敬老会を盛り上げる毎年の演芸があり、その中で日語生徒の演ずる15人中男子3人、女子12人、また誠グループでは15人中男子2人、女子13人と男子の参加が少ないのか、殆ど紅に染まってしまう男子の数の少なさ。
そんな少ない日語生徒から今年も敬老者にカードが贈られた。敬老会に参加された方々なら生徒一人最低3通、95名といわれる敬老者全員に合わせた場合6通のカードの作成が必要とする。
大変ご苦労様でした。そして心より感謝しありがとうございました。
石見銀山(殺鼠剤)
ここの所読む書籍に続けて、島根県の事柄がふれられている。
先般戴いた司馬遼太郎書作「竜馬がゆく」の第二巻最初の数ページ中に石見銀山(毒薬)とあり、2007年に世界遺産に登録された石見銀山に繋がる何かの謂れがあるものかと調べてみると、次の通りであった。
石見銀山という名称で販売されていた殺鼠剤の成分がヒ素で、ネズミだけではなく人間にとっても猛毒であった。といっても島根県の石見銀山からはヒ素は産出されません。ヒ素が採れるのは笹ヶ谷鉱山であったが、当時有名だった石見銀山の名を使った。
銀や鉛を採掘する際の黒灰色の土塊状の鉱石は、大量の砒素化合物を含んでおり「砒石」といい、この砒石を細かく砕いて殺鼠剤とした物を「石見銀山」「猫いらず」などとよんでいた。石見銀山=殺鼠剤のイメージになりちょっと風評被害。
石見国笹ヶ谷鉱山から産出された硫砒鉄鉱から作られた殺鼠剤。しかし石見銀山という知名度から、亜ヒ酸を成分としたこの殺鼠剤は、俗に「石見銀山」「猫いらず」という名前で流通していたと言われる。
銀食器が毒に反応して変色(化学反応)、するのは「砒素」。ヒ素は銀や鉛の精錬時の副産物として得られる、無味無臭の毒物。(グーグル引用)
編集者はこの石見銀山の所在地が、島根県邑智郡石見町かと思い検索すると、島根県太田市大森地方であった。
訃報
子供の園に入居していました井上操氏の兄、井上昌明(享年78歳)氏、1965年2月11日着伯、第29陣、山形県西村山郡西川町出身。
去る9月8日に逝去されました。謹んで哀悼の意を表します。
訃報
B/C区在住の中島美枝子(享年78歳)、1964年6月7日着伯、第24陣、茨城県筑波郡矢田部町出身、只し長野県南安曇郡穂高町出身、中島寿雄氏と婚姻入籍。
急性腎不全でサンパウロ病院に入院加療中でしたが、手当ての甲斐なく9月10日午前6時半頃に永眠されました。
葬儀は9月11日午後3時よりモンブカ墓地内で、サンパウロ市から来訪された他宗教の方の手で執り行われ、告別の辞も行われた。ご逝去を哀心よりお悔やみ申し上げます。
会葬御礼
亡き夫、小山田喜八郎(享年98歳)儀は、去る8月16日リベロン市ウニメジ病院で永眠致しました。
葬儀は翌8月17日午後3時より自宅に於いてお別れの会を執り行い後、移住地内墓地に埋葬しました。
生前、長い間懇意を賜りました村民の皆様には御多忙中にも係らず御会葬頂き、その上過分なる御香典、御供花、御弔辞を賜り、哀心より厚く御礼申し上げます。
2024年9月
喪主 小山田 しげ子
他 親族 一同
尚、勝手ながら香典返しの儀は略させて頂き、寸志をグァタパラ文協、長寿会に寄付させて頂きました。
会葬御礼
亡き母、中島美枝子(享年78歳)儀は、去る9月10日サンパウロ病院で永眠致しました。
葬儀は翌日、モンブカ墓地内に於いて告別式を執り行い後、埋葬しました。
故人が生前中に賜りました格別のご懇情の上、御多忙中にも係らず御会葬頂き、その上過分なる御香典、御供花、御弔辞を賜り、厚くお礼申し上げます。
2024年9月
喪主 中島 みつえ
他 親族 一同
尚、本来ならば個別に御礼申し上げるところですが、取り込み中勝手ながら香典返しの儀は略させて頂き、寸志をグァタパラ文協に寄付させて頂きました。
俳句 グァタパラ俳句会
収穫祭溢れるような人出なり 林 みどり
夜明け前静かに聞くや隙間風 高木美代子
若人の企画新たや移住祭 小林 敏子
小走りもきかぬ齢や暮早し 脇山千寿子
大根の白さ際立つ朝の市 富岡 絹子
短日や予定は未定消えてゆく 菅原 治美
たずね来る友を待つ身に日の短か 脇山クララ
短日や探し物する老いの日々 近藤佐代子
大工なれ応急手当隙間風 田中 独行
〔次回兼題〕 下萌(したもえ)、風光る、春眠、当季雑詠
【編集後記】
陣中見舞いと言って一年振りにアグードスの柳沼氏が、近藤四郎氏の除草剤の薬害のニンニク栽培を見舞われた。柳沼氏本人も急性肺炎、しかも発熱が殆ど現れず入院となり、その後ヘルペス(疱疹)になり抗生物質服用を続けながら全治する。AVCを患った故・黒沢允晴氏は、歯を全部抗生物質服用を続けボロボロになったと言っていたので、柳沼氏に歯の状態を伺うと、唇の上から上顎、中間、下顎を指で指圧すること数分、それを一日何回も繰り返して行っているので、今の所歯には問題ないと 矍鑠(かくしゃく)しておられた。
子羊を一ヶ月哺乳してくれた、吉永さんの孫イーゴル君が二ヶ月後に写真を羊と一緒に撮りたいと訪れた。しかし写真は一緒に撮れたが、呼んでも全然跡を追わず、あんなに遊んで跡を追っかけてくれたといい、そが今では跡を追っかけてくれないどころか、呼んでも来てくれないと、目に一杯涙をためてベソ( 圧口(へしぐち))をかきポロポロと涙を落とすので、小さかったので忘れてしまったと 諭(さとし)た。犬は飼い主をよく覚えているが、羊はあまり記憶がよくない様である。
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