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ブラジル移住の記録
フランス屋
January 26, 2017
今回は日本の映像作家・若林あかね女史への要望に答え、10年振りに周辺の初期日本移民の就労地、廃墟地を案内した。
地域が活気付くと、色々な職業が発達してくる。サンパウロ州内陸に鉄道が敷設されたが、その先の丘地道路が発達しておらず、グァタパラ耕地も開設初期は、やはり御多分に洩れず同様であった。そして道路より河川利用が多く、耕地付近のモジグァス川を最大に利用していた。
この川運送は延べ205km程であり、1884年から始まる。上流ポルト・フェヘイラ船着場から始まり、プライーニャ、アマラウ、プラドール、クニャ・ブエノ、ジャタイー、セードロ、グァタパラ、マルチーニョ・プラード、ジャボチカバール(バリニャ)、ピタンゲイラ、ポンタル等の12ヶ所の船着場があり、この運送に7隻の蒸気船が運航された。
ポルト・セードロ(1960年代まで在)付近には最初のグァタパラ耕主宅があり、そこから少し離れた所に、モジグァス川上流から下って来たフランス女性たちによって、殿方のためにフランス屋が営業されていた。
初日は曇り空の中を、このフランス屋だった構築物からスタートした。
建物は別用途で使用されていたが、放置され数年程で半分以上棟が朽ち落ち、いまにも瓦解寸前。周囲に植林された樹木と、それに雑草、雑木、蔦が繁茂して、道路から数メートルに位置にしながら、見紛うほどに見る影も無かった。
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