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モジアナ地域初期日本移民就労地一巡

2017年1月、モジアナ地域初期日本移民の就労地を訪れました。今でも現役のコーヒー農園として使われている農場から廃駅・廃倉庫・廃スーパーマーケットまで、グァタパラ在住の林良雄さんと近藤四郎さんのお二人が案内してくださいました。現地の方の案内がなければとても行くことができない場所ばかりで、貴重な体験となりました。当日の様子を林さんが現地邦字新聞であるニッケイ新聞に寄稿してくださいました。その時撮影した写真とともにご紹介します。     (HP管理人)

フランス屋

最初のグァタパラ耕主宅の近くには、殿方のためのフランス屋というお店があったそうです。日本で言うと遊里みたいなところでしょうか、、。今は廃墟となっていました。

FAZENDA CANAA

100年前のコーヒー農園の建物が現在も使われているカナーン農場。この大農場には、第一回笠戸丸移民の沖縄県人24家族・152人が配耕されました。

サン・シモン駅

サン・シモン駅前の広場は、水野龍が1907年11月、日本移民導入契約を締結した時のサンパウロ州農務長官の名前を拝し、カーロス・ボテリョー広場と名付けられています。

ヅモン耕地

56日目にして​第一回笠戸丸移民全員が脱耕したといういわくつきのヅモン耕地。現在その跡地には当時運行していた機関車が展示されていました。

プラドポリス駅

笠戸丸移民ゆかりのプラドポリス駅は、現在廃駅となり駅舎やその周囲に人が暮らしていました。胆を冷やす体験も、、。

廃コーヒー倉庫

元モジアナ・リベイロン・プレット駅付近にあるかつてのコーヒー倉庫。その大きさからコーヒーの取り扱い量が想像できる。

カンジド・デ・ポルチナリの生家

コーヒー農園のイタリア系移民の子どもとして生まれた抽象画家・ポルチナリの生家を訪れました。日本人移民が働く以前のコーヒー農園ではイタリア系移民が働いていました。

廃スーパーマーケット

リベイロン市内の大型スーパーマーケット跡を訪れました。

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ニッケイ新聞 2017年3月25日
ニッケイ新聞 2017年4月1日
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