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カンジド・デ・ポルチナリの生家

January 27, 2017

そこからブロドスケの抽象画家・カンジド・デ・ポルチナリの生家を訪れる。ブロドスケへ向かう途中、リベイロン市内で大きな廃屋を左手に見て、帰路に撮影したいと若林氏に頼まれる。マタラゾ一族の店舗の焼け跡である。

 

ブロドスケの町はクァレズマの街路樹(四旬節の花)が開花していたが、紫の花は僅かであった。ポルチナリはイタリア移民の子で、1901年に両親が渡伯し、2年後の1903年に出生している。移住した当時の旅行カバンが展示され、日本移民の定番である柳行李と大風呂敷をこれと比較して考えた。さらに数年前、改修工事の際に現れた壁画であるが、抽象画を理解しない私は首を傾げるだけであった。

カンジド・デ・ポルチナリの生家

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カンジド・デ・ポルチナリの生家
カンジド・デ・ポルチナリの生家
カンジド・デ・ポルチナリの生家
カンジド・デ・ポルチナリの生家
DSC_6153
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ズモン耕地 03
DSC_6552
廃コーヒー倉庫 07
DSC08907
DSC_8088
延べ10キロの水路
placa homenagem martinho p junior 2
グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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