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第二部 グァタパラ耕地の日本移民

第一章 笠戸丸第一回日本移民

1908年6月18日伯着の第一回笠戸丸移民781名が配耕された6つの配耕に関する資料を紹介しています。

第二章 第一回日本移民グァタパラ耕地配耕者名簿

鹿児島県、高知県、新潟県出身の23家族88名の名簿を紹介しています。

第三章 旅順丸第二回日本移民

1910年6月28日に伯着した旅順丸第二回日本移民。ジャタイー耕地や棄児事件など、特筆すべき記録を紹介しています。

第四章 第二回旅順丸グァタパラ耕地配耕者名簿

第二回旅順丸移民906名の内、グァタパラ耕地に配耕されたの62家族239名の名簿を紹介しています。

第五章 そのほかの配耕先 14ヶ所

初期移民のそのほかの配耕先の記録ですが、誰がどの耕地に配耕されたかはわからないそうです。

第六章 厳島丸第三回日本移民

1912年4月28日に伯着した第三回日本移民は367家族1,432名でした。配耕された耕地の記録です。

第七章 神奈川丸第四回日本移民

第四回日本移民は357家族1,412名で、それまでの竹村移民会社から東洋移民会社へと移民会社が変わりました。

第八章 以後日本移民船入港のたびに配耕 

その後日本移民船が入港のたびにグァタパラに配耕されましたが、詳しい記録は残されていないようです。

第九章 初期移民の諸問題と植民地生活準備

初期移民の諸問題と植民地生活の前提への資金作りと開拓技術の習得について紹介されています。

注記 グァタパラ耕主マルチーニョ・プラード・ジュニオールの死亡年月日

グァタパラ耕主マルチーニョ・プラード・ジュニオールの死亡年月日を調べた林さんの手記です。

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