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廃コーヒー倉庫

January 27, 2017

翌日は昨日と比べ嘘のような晴天。若林氏いわく「私は晴れ女」だとのこと。晴れ男と言う言葉は知っていたが、晴れ女と言う言葉を知る。始めに、サンパウロ総合大リベイロンキャンバス内のコーヒー博物館に出掛ける。敷地も広く木立ちの多い所だが、あいにく建物の天井が落下しており、その修復の目処がたっていなく入場禁止。

コーヒー博物館

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そこを諦め、元モジアナ・リベイロン・プレット駅付近にある廃屋化したコーヒー倉庫は、半分は棟が落ち、雑草と青空。すぐ先のバスターミナル(元モジアナ駅)横の元マリチーニョ・プラード邸宅跡付近は、アンタルチカ・ビール、炭酸飲料水製造工場であったが、ここも構築物は全て取り壊し、路面に面した壁だけが残されていた。唯一、一隅に残されていた建物には歴史を感じるが、一世紀未満と見た。

廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
廃コーヒー倉庫
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ズモン耕地 03
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廃コーヒー倉庫 07
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延べ10キロの水路
placa homenagem martinho p junior 2
グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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