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第三部 グァタパラ耕地配耕者の主なる転出先

第一章 サン・パウロ市近郊

1913年になると熊本県人の秋村長寿がコロノ契約終了後、サン・パウロ市近郊で栽培をはじめます。

第二章 北上する初期配耕者

グァタパラ耕地副支配人平野運平の元に集まってきた独身インテリ青年たちは、やがてグァタパラ耕地を去り独自の開拓進路を取ります。

第三章 コチア植民地

1914年に鈴木貞次郎が8人の青年と入植したコチア植民地。最盛期には200家族が入植しコチア産業組合を結成しました。

第四章 東京植民地

1915年に馬場直が創設した東京植民地は、最盛期1,500家族が営農していました。平野植民地と並ぶ2大マラリア植民地です。

第五章 平野植民地設定に至るまで

グァタパラ耕地で通訳を務めた平野運平が200家族を率いて建設した平野植民地。壮絶な開拓の歴史を紹介しています。

第六章 ミナス方面への米作

大和農場や蓑原農場といったグァタパラ耕地で早くから米作りに携わった農家などの記録を紹介しています。

第七章 グァタパラ耕地の米作

大和農場や蓑原農場といったグァタパラ耕地で早くから米作りに携わった農家について紹介しています。

第八章 モジアナ地方の先駆者日本移民が係ったその他の殖民地移住地

トレス・バラス移住地、ロンドリーナ市の国際植民地、サンタ・ローザ植民地、バストス移住地など。

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ズモン耕地 03
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廃コーヒー倉庫 07
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延べ10キロの水路
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グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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