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グァタパラ在住の林良雄さんが書かれたエッセイ「我がグァタパラ耕地」を紹介しています。

エッセイは200ページを越えるので章ごとにわけて表示しています。

興味のあるタイトルをクリックして、ブラジル移民の歴史をご覧ください。​  (HP管理人)

第一部 笠戸丸第一回移民以前のできごと

第一章 根本正の報告書

笠戸丸以前のできごととしては、外務省よりの官命を受けた根本正の報告書(労働契約書のモデル)があります。

第二章 グァタパラ耕地の歴史と由来

農場名「グァタパラ」の由来とグァタパラ発展の歴史を紹介しています。

第三章 プラード家と会社について

プラード耕地は、当初マルチーニョ・シルバ・プラード氏とアントニオ・マルチーニョ・ジュ二オール親子に運営されていました。

第四章 サントス港のコーヒー輸出扱量

プラード・シャーベス輸出株式会社のサントス港輸出扱い量とサントス港扱い全輸出量の比率。

第五章 ブラジルコーヒーの由来

黒い宝石・コーヒーは、ブラジルの代表的な産物となり、国の経済を担うものになりました。

第六章 鈴木貞次郎について

ブラジル移民の草分けである鈴木貞次郎を紹介しています。

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ズモン耕地 03
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廃コーヒー倉庫 07
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延べ10キロの水路
placa homenagem martinho p junior 2
グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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