iPhoneで天気を確認しますと、現在地の気温は1℃で体感温度−5℃と表示されています。先週までは比較的暖かい日が続いていたのですが、ここに来て急に冷え込んできました。
林良雄さんから届いた今月の写真は、家庭菜園のコンニャクと小豆のお写真。小豆の後ろの方は戦前から蒔き続けている種子で、日本から移民が持ち込んだ物だそう。私にとってはスーパーで買ったことしかないコンニャクだけど、ちゃんと芋から育てて作ったら、さぞかし美味しいんだろうなぁと思います。なんだかとっても贅沢なことのように感じます。

家庭菜園のコンニャクの木

家庭菜園の小豆
2025年度新年会並びに成人式
雨量の多い夕立続きの日々、二日続いて晴天の2025年の新玉の年始めの農事文化体育協会の新年祝賀会並びに成人式が、午前10時10分から海老沢光次郎副会長から開会と登壇者への案内があり、長寿会長、婦人会長、三名の成人者登壇を知らせたが、振袖女性一名の登壇であった。今年の参加者は74名であった。
伯、日両国歌をCDに合わせて斉唱。新年の挨拶を高木ウイルソン当文協会長から始まり、祝辞を田中万吉長寿会長、渡辺千代子婦人会長は原稿なして、昨年婦人会が六十年を迎えたこと、成人者両親の苦労を労う挨拶であった。
文協より成人者への記念品贈呈で、振袖は朱色を多く施し、少し黒気味の多い帯を召され、他の二名は代理の人が受け取る。
成人者の「答辞」は女性で日本語で山口ゆかりさんが述べられた。今年度の成人者は、
マチオリ・川上・ヨシハル・アントニオ、山口ユカリ・レチシア、竹中・敬三・ダニエルの各氏。
次に卒寿者への感謝状と記念品が大塚秋子・1934年5月9日生、金箱なつ・1934年6月19日生、小山田しげ子・1934年10月2日生等の三名で、出席者は大塚秋子さんだけで二名の方は代理の人が受け取る。
一月一日の歌を田中万吉氏の指揮で参加者全員で歌い後、10時40分海老沢副会長から式典終了が告げられた。
祝賀会の開会は、佐伯博幸監事長のヴィバー、ヴィバー、乾杯の三音頭で祝賀会となる。中ごろに成人者からシャンペンが注がれた。
新年の挨拶
グァタパラ文化体育協会長
高木 ウイルソン
新年あけましておめでとうございます。
2025年が皆様にとって元気いっぱいで前向きに過ごせる良い年であることを心よりお祈り申し上げます。
成人を迎えた皆様、誠におめでとうございます。これからは大人として社会で立派に活躍されるよう心より応援しています。どうか、かっこいい大人になってください。
この会場も、今日の新年会までにせめて天井だけは間に合わせたいと取り組んでまいりましたが、色々な点が現れて完成することが出来ませんでした。皆様には大変ご迷惑をかけ、申し訳なく感じているところです。
昨年は異常な天候でサンパウロ州は山火事で意外な被害を受けました。幸いにグァタパラは大した被害を受けずに済みましたが、今、世界中で気候変化が起きています。この移住地でも、サトウキビを家の横まで植えることは考え物ではないかと感じます。物事は起きてからではもう遅いと思います。
どうか、これから二世、三世の時代になってもこの移住地を作り上げて来られた移民の度胸、努力、心、愛を忘れず、みんなで力を合わせ、この移住地の益々の発展に取り組んで参りましょう。
皆様の健康をお祈り申し上げ、挨拶の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
2025年1月1日
新年会祝辞
グァタパラ長寿会々長 田中 万吉
皆さん、新年明けましてお目出とうございます。2025年の新年を皆さんと共に、元気で迎えられました事を、心より喜びとする次第です。
世界情勢を見ますと、ロシアのウクライナ侵攻は今だ終りが見えず、イルラエルと、ハマスの戦闘も中々停戦に到らずロシアや、中東は天候異変に気を配る余裕もなく、二酸化炭素を撒き散らし、異常気象は熱帯雨林を伐採し、火災を起こしているブラジルのせいと、ブラジルに罪をなすりつけています。戦争は今の処ブラジルには対岸の火事ですが、これからも関わりにならない事を祈るばかりです。
グァタパラ移住地は入植六十三周年となり、役員もブラジル生れ若い世代に替わりつつあり、活動も世代交代若返り頼もしく思っています。
長寿会も昨年は創立五十周年、文協には絶大な御支援を賜り、お祝いする事が出来ました。会員一同哀心より感謝しております。
そして、本日成人を迎えられました皆さん、又その御両親の皆さんお目出とうございます。成人と云う区切りを、グァタパラ移住地の新年会で御祝いして頂いた事を、心に留め身体を丈夫に円満な常識をもって信頼される人に成り、御活躍下さる事を願います。
又、本日卒寿を迎えられました三名の皆さん、卒寿大変お目出とうございます。これで、移住地の九十歳以上の方が五名と成ります。皆さん長寿会員で益々御健勝のほどをお祈り申し上げ、本日の祝辞とさせていただきます。
2025年 元旦
答辞
明けましておめでとうございます。
本日は私たちのために祝宴を挙げてくださり、一緒にお祝いしてくださっているみなさま、ありがとうございます。
何より今まで私たちを育ててくれた両親、支えてくれた家族、友達、みなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。
成人になった私たちは社会人として自覚し、これからは責任のある行動をとり、頑張ります。そして周りの人たちに信用される人間になるよう、努力をします。今後ともよろしくお願いいたします。
2025年 元旦
成人者代表 山口 由佳里
2024年度日本語学校修了式並びに学習発表会
去る12月7日午後6時、公民館天井の改修工事の中で開会された。
教育委員会が再発足の下で佐伯美智代氏が開会をつげる。約100人前後の来場者である。
教育委員長の井上千枝さんの村民に感謝しながら開催挨拶。高木ウイルソン文協会長の挨拶があり、これらの進行を佐伯美智代氏が務める。
皆勤賞7名:福嶋アユミ・マリーネ、間野堀川ユキエ・ラジィヤ、斎藤ヒカリ・ベアトリース、
福嶋永志・ルッカス、小林美月・マイリ、小林李瑳・マリ
努力賞: アリセ・ヴィエイラ・デ・ソウザ
センターテスト
モジュール5:アリセ・ヴィエイラ・デ・ソウザ、斉藤ヒカリ・ベアトリース
モジュール4:高木良・エッタン
モジュール3:福嶋永志・ルッカス、小林美月・マイリ、小林李瑳・マリ
今年度作品コンクール
初歩組:アリセ・ヴィエイラ・デ・ソウザ硬筆・銅賞、書道・銅賞、絵画・銅賞
B組: マリア・バルボーザ・ザンプローニ、書道・銀賞
福嶋アユミ・アリーネ、書道・銅賞、硬筆・銀賞、絵画・銅賞
間野堀川ユキエ・ラジィヤ、書道・銀賞。
C組: 高木良・エッタン、イラスト・銅賞
小林李瑳・マリ、イラスト・銀賞。
D組: 佐伯池谷壇、書道・銀賞、硬筆・金賞、作文・銀賞、イラスト・銅賞
真名子八重美・イザベラ、絵画・銅賞、イラスト・銅賞
福嶋永志・ルッカス、イラスト・銀賞
小林美月マイリ絵画・銀賞、イラスト・銅賞
E組: 佐伯池谷真依・硬筆・銅賞、書道・銀賞、絵画・銀賞、作文・金賞、マンガ・最優秀賞
これらの賞品を各受賞生徒一人々に渡される。
2023年度日本語能力試験合格者
佐伯池谷壇 N3
佐伯池谷真依 N2
日語先生に感謝の品と、書道指導の上野真喜子さんへ感謝の品を贈られた。
学習発表会
太鼓で幕開け、劇ではじいさんらしく腰を曲げる仕草が板に付き、ナレーションの声が良く通り、台詞は声がくぐもり、声が出ず隣人に聞く様子もありほのぼのし、日本語の努力がうかがえた。合奏では木琴、ピアニカなどを奏でてブラジル学校ではない指導である。パワーポイントを使って動画に合わせ日語の台詞、モニトール画像にポ語が流れた。
最後に横断の長い紙に「ありがとうございました。」と感謝の辞が出される。午後9時了。
本邦研修
今度、本邦研修に高木陽二・けい子夫妻長女・友加さん大学3年生21歳が、島根県人会とJICAとの合同研修生として選ばれ、20日の内4日間横浜JICA移住センターで研修され、残り16日間は島根県松江市で研修される。県人会推薦面接で該当資格を得た。
また、佐伯博幸・美智代夫妻長女真依さん高校三年生17歳がJICA本邦研修1月20日~2月8日の20日間、高校生で招聘された。研修に対するまでの過程をオンラインで参加、高校生の対象には目的が明確で、作文に於いて日本文化の知識を深めるとした。横浜移住センターで研修後、次期後継者育成の協力も担う、その上英語も大切にされている。真依さんの場合は推薦団体はグァタパラ文協であり、中南米全体で40人中、ブラジルから18人が選ばれた。
日程プロブラムを拝見すると、大変充実した内容で、グァタパラ子弟も日本語に力を入れてこの様なチャンスを生かせたらと思う。御両人おめでてとうございます。
文協第九回定例役員会 2024.12.14
協議事項
一、ライアネ・アラウジョ氏のウニメジ加入を承認する。
一、日語教室の床修理を許可する。
一、鈴木清彦氏より消火用ホース25mの寄贈があった。
次期グァタパラ市長
10月のグァタパ市長選で当選していたアイルトン氏が12月入りしてから、選挙管理局より市長認定証を受け取る。これにより1月1日からグァタパラ市長に就任された。
自由市場 12月15日
雲厚き空模様で開かれた。テーブル、イスが当日午前10時過ぎにやっと着き、青年部では気をもみ文協の白いテーブル、イスを10脚程出し揃えた頃に着いた。出店する人の中で手の空いている人々、青年部も協力して10分前後に常例の数を揃え上げた。
出店は10店で15名の参加者、10時半でも客足はぼつぼつであった。すでに来客者にも馴染みの品々に成ったが、各店の品物を重複しながら記す。
子羊、生ニンニク、潰しニンニク、うま味黒ニンニク、マモン、バナナ、蔓紫、レモン、マンゴ、アバカテ、ラランジャ、ゴボウ、アスパラ、ナス、オクラ、カボチャ、サツマイモ、ネギ、ニラ、エプロン、人形(糸作り)、小物入れ、信玄袋、紋形饅頭、摘み饅頭、蒸し饅頭、焼饅頭、カリントウ、モチ、鯛焼き、ワッフル、輪切り寿司、花ウメ、ゴーヤ、白卵、テンプラ、ギョウザ、肉マン、カリントウ、筍のビン摘め、花ウメ、味付シメジ、ミソ、生シメジ、輪切り寿司、酢の物、ビーフン、カレーライス、ジャポチョ(韓国料理)、オニギリ、手拭き、布巾、ススピーロ(抹茶、マラクジャ、レモン、コーヒー味)、パリャ・イタリアーナ、和風ゼリー、茄子漬け、焼ソバ、ヤマクラゲ、手巻き寿司、詰合せ、刺身、ホット・ロール、弁当、冷やし中華、焼ソバ、ギョウザ、饅頭、オニギリ(マグロ、梅味)、オニギラズ、パステール(フランゴ/カテピリ、肉/チーズ)ブール茶、アイスクリーム(苺入りモチ)、鉢置き台、輪切り寿司、摘みラッカ、ギョウザ、オカキ、アゲ、ラッキョウ、福神漬け、肉マン、大福、茶饅頭、マンゴ、ピタイア、クレープ(チーズ、チョコレート味)、レシア・ジュース、ドリンク(ヴォージカ味)、ハスパジィーニョ、炭酸飲料水、ビール、焼トリ、カキ氷、スッコ。来客者は日系、非日系でほぼ同じ位。
紅白歌合戦
文協主催で紅白歌合戦が、12月28日午後7時30分より開催され、13組出場で白組が優勝された。
祝 たつ年私の家族
脇山 純代
今年2024年の「えと」は「たつ」、11月23日、グァタパラ辰年会が開催されました。
世にもめずらしい私の家族の辰年生まれを紹介します。
長女48歳サンパウロ在、次男48歳モジ在、次女のむこ36歳リベロン在、三女36歳グァラレマ在、三女のむこ36歳、孫娘12歳、計6人もの辰年生れです。
次男は本当はへび年に生まれる予定でしたが、七ヶ月の早生児の七つき子で三か月早い辰年に生れてしまいました。
成人の時に文化会より同じ年に二人ということは、ないでしょうとの問い合せがあり、一月と十二月生れ、皆さんに「え・・・」とおどろかれていました。
辰年会に6人全員出席しました。
大変だったのは宿泊、家族合わせて計十人、当然ベットは十人分はないので、たりない分は床にコッションをしき、なんとか間に合わせました。部屋の必要でない物を物置に運んだりと、辰年会迄の一週間悲鳴をあげる程の忙しさでした。
12年後の辰年も今年の藤山節子さんの96歳の様に、みんな健康で元気で長生きしてほしいものです。
辰年の皆さん、おめでとうございました。
訂正
12月号の上田教諭を小林教諭、林直太朗を直太郎と訂正します。
埋草・開拓 ② *加筆印
*伊那谷は高い急峻な山々に囲まれ西に中央アルプス、東に南アルプス、上伊那郡と下伊那郡境の一部を流れる小渋川(その流域は大鹿村、中川村、松川町)これがまた大規模な崩壊地形を数多く持ち、上流から下流への川の高低差が2千mもあり水嵩が増すと、天竜川のさまざな支流中でも「最も荒れ川」と言われる。ここの下伊那郡大鹿村の南アルプス麗に、2つのリニア中央新幹線トンネルの関連非常口トンネルが掘削中だが、問題が多難している現在である。このリニア新幹線長野県内の駅が飯田駅(仮称)*
・私の父親富男にふれる。父富男は祖父母直太郎・とめの夫妻の三男として明治40(1907)年11月15日長野県下伊那郡生田村149番地に於いて生れ、長男、次男は幼児にて病弱で短命であった。そんな後生まれた父は跡取りが出来たと、溺愛の中で成長した。また6歳上にまちの明治34(1901)年11月14日生れの次女と言う姉があり、弟仁造、妹ひろ、弟和一といった姉弟達が続いた。妹ひろは河田堅男と結婚、在住・長野県下伊那郡高森町出砂原(1972年現在)、従兄に祐安、高安が居るが、殆ど音信がなく近況は不明である。
一番したの弟和一は18歳の折、上京して呉服問屋で働くが、経営者である主人が肋膜(結核性腹膜炎)を患い、弟和一も感染、嫁いだばかりの母(千歳)の手をわずらわせず、一切母とめのが看病するものであったが、薬湯の甲斐なく19歳で他界した。
また、祖父直太郎は昭和14(1939)年2月27日に隠居届出をしたので、これ以後父富男が戸主となり、仁造叔父は戸籍上、分家届出昭和18(1943)年4月30日付けまでの間、父富男の弟として戸籍上に含まれる。
昭和7(1932)年3月1日、関東軍によって「満州国」が誕生した。
仁造叔父は製材所での仕事に程よく見切りをつけ、昭和12(1937)年に渡満する。
昭和12年に父と結婚した母は直ちに、林家族での生活が始まったが、家族として同居中の仁造は数ヶ月に満州へと移住した。
・仁造叔父について。渡満、満州で紀・花子と結婚、婚姻届出は昭和14(1939)年8月17日。叔母・花子に付いては、大分県東国東郡竹田津町大字緒に鬼籠540番地戸主紀・重徳、妹・花子、紀・徳松・エド夫妻五女として大正7(1918)年1月1日出生、同日入籍と記載されている。
また、仁造叔父が婚姻日より数年遅れて父・富男戸籍上での分家届出をするまでの幾つかの大切な、少ない満州記録が伺える。満州引揚道中、着の身着のままとなる者が殆どであり、僅かな資料が残るのみである。そして満州で幼い命を失った仁造の子供や富男の子供の名前を次に掲載する。
・まず林・直恵、林仁造・花子の長女。昭和15(1940)年9月29日満州国濱江省延寿県中和鎮信*村3区に於いて出生(コーピーが解読せず)・ハルビンから浜綏(ケイスイ)鉄道線を南下約150キロの尚志
(シャンチ)駅から北に約50キロ位の地点、延寿(イエンショウ)父林仁造届出。昭和15年10月8日在満州国特命全権大使梅津美治郎受付。同年12月2日送付入籍。
・次に林・佳秀、林仁造・花子の長男、昭和17年3月19日満州国濱江省延寿県中和鎮信*村3区に於いて出生、父林仁造届出、昭和17年3月19日在満州国特命全権大使梅津美治郎受付、同年送付入籍。
仁造叔父の入植した満州開拓地には、当グァタパラ移住地入植第14陣の長野県人上村孝之氏の父親孝平氏も妻と子供4人を亡くしている。孝平氏一家もこの地で7年ほど共に開拓の鍬をふるった。
・林・隆子、林富男・千歳の次女、昭和19年4月17日日本籍にて出生、父富男届出、昭和19年4月23日受付入籍。昭和21年7月11日午前10時満州国濱江省木蘭(ムーラン)県老紙房に於いて死亡。林富男届出、同年12月25日受付と戸籍上記載あり。スンガリ川(松花江)が横を流れる。ハルビンを東に下流120キロに木蘭を見だすことが出来る。死亡翌日荼毘に附して、遺骨だけを日本に持ち帰る。満州から随一持ち帰ったのは、姉・隆子の遺骨だけであった。終戦後の食糧難、二歳の幼児隆子は黄な粉に、僅かばかりの砂糖が含まれ、それを恋しさに、鍋に数粒の大豆を入れ母に「まめいってね」と求めるものだったと言われた。2歳3ヶ月の生涯であった。
中国黒竜江省ハルビン市木蘭県、父の満州開拓地2004年現在人口27万人から黒竜江省ハルビン市延寿県、叔父の満州開拓地2004年現在人口27万人、この二つの開拓地までの道程は128,7kmである。
(グーグルマップ参照)
次回に続く。
訃報
区在住の阿部広幸氏宅で3月より同居していた、阿部武俊(享年72歳)儀、1964年8月20日着伯、第25陣、茨城県北茨城市出身。
12月3日夜に永眠されました。グァタパラ移住地内墓地に埋葬されました。
ご逝去に心から哀悼の意を表します。
俳句 グァタパラ俳句会
焼野あり火の粉舞い散り堆く 林 みどり
終の地も気候変動春惜しむ 田中 独行
花びらの散り敷く道や春惜しむ 富岡 絹子
強風になすすべもなく野を焼けり 近藤佐代子
付け火かな焼野広がる音立てて 小林 敏子
物忘れ笑われながら春惜しむ 高木美代子
戦場と重なる影や大焼野 脇山千寿子
蕨畑わらびの芽待つ焼野かな 脇山クララ
草を摘む背中は丸くなりにけり 菅原 治美
〔次回兼題〕茄子、夏痩せ、入道雲、当季雑詠
【編集後記】
新年祝賀会の席上前の席に落合秀史氏が、1968年時の全伯準青年野球大会で、5回まで投げ合ったロンドリーナ出身の菅田投手の話が出て、しかし既に3年前に黄泉入りされたと、医師であったとも伺う。
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