我がグァタパラ耕地

―ブラジル日本移民日系社会年表―

序文

 私、林良雄は父母、兄妹と共に横浜港であるぜんちな丸に乗船し、1962年1月10日サントス港に到着。この時11歳の少年であった。

 戦後、新たに造成されたグァタパラ移住地への、第一回家族自営農として移住したものであった。この移住地は、かつて笠戸丸第一回日本移民(1908年)を初めとする初期日本移民の数多くが配耕された旧グァタパラ耕地(Fazenda GUATAPARA)内の土地に造成されたものであるため、私も必然的に旧グァタパラ耕地との係わりを持つこととなり、以来この移住地を離れることなく40年余り生活した。年齢を加えるにつれて初期日本移民についての興味が高まり、日本移民に関しての書物、資料を求めて目を通したり、コンピュ-ターを利用しての移民資料検索、そして時間のある限り昔の各耕地所在地を実地踏査するようになっている。 

 昔の話を聞いたり読んだりしたことを整理して、専門家ではない素人の私なりの扱い方法ではあっても、まとめておくことは私の子孫やこの移住地のためになることが必ずやあると信じたい。記録したり整理しておかないと、多くの人たちの貴重な体験が消えてしまうか、あるいは知られないままとなってしまうと考える。100年も過ぎると私達の地元である身近なグァタパラ耕地で起った事実すら定かには伝えられず、想像や憶測が加わって誤って伝えられていくことになる。

 例えばジャタイー耕地(グァタパラ移住地から目と鼻の距離、現在のルイス・アト二オ郡)の日本移民史に残る搾取問題、ビラ・アドルフォ駅(現在のカタンツバ市)はグァタパラ耕地総支配人のジウゼピ・サルトリが土地を購入し、平野運平らがコーヒーの請負栽培(4年制)を行ったところであることを知る人はほとんどいない。

 約60年前刊行の石川達三著「蒼氓」にはサンタ・ローザ駅(廃駅)とサント・アント二オ耕地の両地名が記されており、同書発刊より62年後の1992年には、父達三が踏み締めた地を訪れるべく長男旺(さかえ)氏が訪伯した。このとき地方での道案内役を務めたのは、「故郷なき郷愁」の著者である馬場謙介氏であったが、この書にも両地名の記載ばかりではなく、父馬場直氏とその有志で創設した東京殖民地についても記載が見当らない。  

  

 私事ながら、私の父林富男が第二次大戦後満州開拓地より集団で引き揚げの途次数拾名の死者が出て、その都度土まんじゅうで埋葬したが俗名を記して残す材料すらなかったとのこと。そして、私の実姉は満州で亡くなり、荼毘に付して遺骨だけを日本に持ち帰ったが、無数の人々は肉親の遺骨すら持ち出せず、そのまま放置されてしまったと云う、悲惨な事実を心より悼んでいた父の姿が私の脳裏に残っている。 父がグァタパラ移住地入植15週年記念事業として計画された拓魂碑建設委員会の委員長として精魂を傾けたのは、引き揚げ時の思いが心の奥底に存在したからと思う。

  

 このたび、私はこれまでに私自身が目にした数多くの日本移民についての書籍、資料の中から初期日本移民の多くが係りをもった、モジアナ地域、特にグァタパラ耕地とその周辺地に焦点を絞り、その記録をまとめてみたものである。私自身一貫して農業に従事している身であり、日本移民関係の全ての膨大な書籍、資料に目を通す時間的余裕はなく、歴史や考古学についての専門的知識がないのは他の多くの村民と同様である。グァタパラ耕地に関しては、私達の知らない歴史上重要な事実はまだまだ多く存在するであろうが、こうして今までに私が知り得た事実のみでもまとめて整理することが、皆さん方の理解をより容易に且つ迅速にすることを望みたい。 

 旧墓地に無縁仏として埋葬された約400柱の志半ばにして眠っている開拓先没者の氏名を一名でも多く知らせることができればとのささやかな期待もある。 なお、誤った事実の記述に気付かれた人は、遠慮なく私に直接ご指摘いただきたくお願いします。ローマ字書きに於てはは伯語の綴り字記号である〜(チル)、/(アクセント・アグード、グラーヴェ)、^(アクセント・シルクンフレクショ)及び字母Cのしたに添えて「S」の音であることを示す(セディーリャ)の部分が記載出来ないため、予め知らせておきます。また新しい資料が現れた時にはその都度加えており編纂終了後も幾つか記載しましたことを知らせておきます。

 こうしてまとめ終える中、まだまだ記することの出来ない方々には、ご冥福を祈りつつ終りにします。編纂の最初から文の校正、誤字などに大変お世話になりました荒川勝彦氏、また資料、該当家族の訪問を引き受けて下さった清水操子さんなしくしては半分も達成出来なかったと思います。近藤四郎氏、斉藤長一氏、グァタパラ移住者の方々、東京植民地出身の馬場實子さん、宮村愛味さん、特に熊本県人の配耕が多ったため、熊本県出身ジャボチカ―バル市在住の田嶋勉氏、若輩の私に惜し気なく協力して下さいました。また種々の面での協力して下さった方々に心から感謝します。

2006年5月5日(端午の節句)

林 良雄

出身地:茨城県鹿島郡大洋村大字台濁沢小角台(現鉾田市)

渡 伯:1962年1月10日あるぜんちな丸

 

付 記:お願い

 「我がグァタパラ耕地」の中での誤った記述に気付かれた方、記述されていない、グァタパラ耕地に関する貴重な情報を有しておられる方、またこのたびの私の著述に対しての御批評、御意見をいただける方は私あてにご連絡頂ければ嬉しく思います。

  連絡先:Yoshio Hayashi

      Núcleo Colonial Guatapará(Mombuca)

      GUATAPARA, Estado de São Paulo

      Brasil

      CEP:14115-000

      Tel:(016)3973 0273

      e-mail:mitsuuroko10@yahoo.com.br

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ズモン耕地 03
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廃コーヒー倉庫 07
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延べ10キロの水路
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グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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