下山家のブラジルルーツを探索
- akanemimi
- 1月3日
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先般、数年前に近藤四郎氏と交流のあった下山ナタリーノ・やすし氏が、ウスピ大リベイロン市キャンバスで1年間同級生であった、グァタパラ移住地出身の佐伯珠理(現・ボツカツ市サンパウロ州立大学准教授)さんを介して、下山一族5名の訪問を受けた。
下山ナタリーノ・やすし氏は、消えた植民地の1つであった東京植民地子弟出身者で、祖父母、父・俊積氏は熊本県八代郡岡町出身で、6歳時の1934年6月22日着伯のあらびあ丸で、渡伯時は4人家族であった。母親は広島県出身で、両親は上月保次郎、ミスヨ・広島県安芸郡海田町字中店町、渡伯は1912年4月25日・神奈川丸で当時8人家族、イタペチニンガのボア・ソルテ植民地でコーヒー栽培、米作に従事、その後サン・ジョゼ・ド・リオ・プレット市へ移転される。母親の両親の里で下山やすし氏は1959年9月1日出生。命名は、東京植民地創設者の1人であった馬場直氏次男通夫氏と同名のナタリーノを命名する。その後、1979年12月10日付現在の東京植民地小学校同窓生名簿には、下山俊積・住所サン・ジョゼ・ド・リオ・プレット、下山俊喜・住所ノーバ・オリゾンテと記載されている。
また、今回同行された妹エミ(1961年4月10日生)さんの他に弟サトル(1962年5月30日生)氏と妹マリ(1965年9月28日生)さんの3人は、この路線の始発駅であるリンコン市で出生する。戦後十数家族の東京植民地の方々が1965年を境にして他方へ移転されている。
下山やすし氏は、ウソピ大化学科には一年間在席であったが、意を新にしてピラシカーバ市のウスピ農大へ編入。ここには東京植民地出身の馬場通夫氏も同大学を卒業後在住されるし、馬場直氏も戦後の勝組・負組、騒動で難を回避してこの地に身を寄せていた。だが、下山やすし氏の生まれる前に、ピラシカーバ市で1957年に他界されて居る。大学の講義では安藤教授(東京大学卒出身、水戸徳川家の子女と婚姻され私達も交流がある)の講義が一部にあった。
大学卒業後、コチア産業組合で農業技師として5年間、ボリビア国へ農業研究員として1年間、その後ジャガイモ関連の指導員として29年間勤め、現在この協会の責任者である。その間30ヶ国を訪問するが、趣味の魚釣りでは32ヶ国を訪れ仕事で赴いた国の数より趣味の魚釣りで訪問した国の方が多く、一入の釣果はやはりアマゾン川釣りが釣りの醍醐味と言われる。現在、サン・ジョゼ・ド・リオ・プレット市に在住し、グァタパラ移住地出身の黒沢元晴(私、佐伯珠理さんと同船)氏一家とも交流がある。
下山やすし氏の妹エミ(現性・本間)さんは、ミランドポリス市で、アリアンサ・弓場農場の隣で養鶏業を営む。その下の妹マリ(現性・中村)さんは、氏と同地のサン・ジョゼ・ド・リオ・プレット市在、弟のサトル氏はパラナ州クリチーバ市に在住される。
今回の出生地訪問には、本間エミさんの長女ナタリア・やすえ(1997年1月24日生)ウスピ大バウール市キャンバス医科心理学卒業、中村マリさんの長女ジュリア・エナ子(1998年1月6日生)マリリア州立医大老人学科卒業、中村マリさんの長男ハファエオ・やすし(2003年4月17日生)ウスピ大ロレーナ市キャンバス化学科4年生在学中の若い人達の同行訪問であった。
この訪問に先立ち、唯一東京植民地跡地周辺に農地を所有して、グァタパラ市に在住する阿武エリアーナさんに近況を伺うと、郡の農地の殆どが砂糖キビ畑に変貌し、最初に開拓されたモンテ・アレグレ小川沿いは変わらず流れていると言うが、訪れるだけの価値にあたいしないと言われた。
下山やすし氏からも、阿武エリアーナさんの父親阿武あき夫(父母・阿武信雄、ハツ、山口県・1918年渡伯)氏の近況を伺われたが、数年前にグァタパラ市内で逝去されたことを知らせる。
東京植民地入植110周年を記念として、また祖父母、両親の殖民ルーツを調べたくとし、その上当地の物故者死病名等が若いながら医大卒業者の目には特に感心深かった。
会話は日本語とポ語であり、難しい日本語は佐伯珠理さんが訳し説明される。日本語で記載される「我がグァタパラ耕地」をスマホ携帯の翻訳機能を駆使し、もっと詳細に知りたいとも言われる。
そして、この訪問を介した佐伯珠理さんには、同じサイトに有る「あるぜんちな丸乗船の軌跡」中に、同船者の近況に貴女方姉妹の写真が10番目に掲載されていること知らせる。彼女は生後一ヶ月の乳児で両親共々と私達の同船あるぜんちな丸で渡伯された。
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