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グァタパラ新聞2024年8月号

台風の影響かここ数日は過ごしやすい暑さになりました。とは言ってもまだ日中の気温は30度を超えているのですが、私の子どもの頃は、これくらいの暑さだったように思います。これからも夏の間、35度36度の期間が1ヶ月ほど続くのかと思うと、もっと涼しいところへ引っ越したくなります、、。

そんな中、林良雄さんからグァタパラ新聞の記事が送られてきました。グァタパラでは寒い季節から一気に夏日和、春を告げる国花黄イッペイが満開だということです。

ブラジルの国花「イッペイ」


入植61周年並びに収穫祭

 

 少し寒気を感じる7月6日の祭りの朝は、北寄りの低地には雲海が広がっていた。


 午前10時から、カトリックによるホドリゴ司祭の慰霊ミサが多田豊希氏の進行ですすめられた。今年も近隣都市の日系団体の出席はリベロン文協だけであった。聖歌コラースには荒川照、上野真喜子、佐々木巻子さん等。来賓として在聖日本国総領事館清水享総領事、JICAブラジル事務所宮崎明博所長、ヴィセンテ市長、ブラジル日本文化福祉協会山下譲二評議員会長、ブラジル日本都道府県人会連合会谷口ジョゼ会長、サンパウロ日伯援護協会島袋栄喜副会長、サンパウロ日本人学校植草喜久男校長、市会議員、山形県人会、長野県人会、岡山県人会、島根県人会、山口県人会の関係者、一般参列者等の各々の献花、焼香が行われた。約80人位の参拝者であった。墓地入口な再塗装が施され明るく感じた。


 62周年式典に入り、高木ウイルソン祭典委員長、海老沢光次郎副委員長、今年も少し遅れて田中万吉副委員長が舞台に上り、式典進行を海老沢副委員長の終始ポ語だけの司会で進める。


 来賓登壇者は、清水享総領事、JICA宮崎明博所長、ヴィセンテ市長、山下譲二文化評議員長、谷口ジョゼ県連会長、島袋栄喜援協副会長、植草喜久男日本人学校々長、ジーマス市議会議長、アレサンドラ市教育局長、ホドリゴ神父、塩野山形県人会代表、佐藤ミツル長野県人会代表、角南美佐子岡山県人会長、福間エジソン島根県人会長、よだたけし山口県人会代表、続木アルフレッド・テクネス社、山口アウグスト・テクネス社、リベロン市文協島野アントニオ氏以上の方々。


 海老沢副委員長の開会の辞から始まり、一分間の黙祷、伯、日両国歌斉唱、市歌斉唱、高木祭典委員長の挨拶は、日、ポ語の両語でされる。


 祝辞の最初を清水享総領事がポ語で、2004年に小泉純一郎総理が来伯した際、ブラジリアの在ブラジル日本国大使館で参事官を務め、小泉総理の一連の逸話を後に聞き、「何時かグァタパラを訪問してみたい」それ

が今度「今日は夢が叶いました」と喜びを語られた。宮崎明博JICA所長もポ語の挨拶、ヴィセンテ市長は日本人移民を受け入れた当地の歴史を誇りに思う、山下評議員長は継続は力なりとポ語での挨拶、谷口ジョゼ県連会長の挨拶は日本語とポ語で日語文は後に掲載、植草校長は在伯二年だがポ語は覚えず、日本語で移住地との交流を喜ぶ。


 初日の午後の演芸会は2回の休憩を入れて始まり、幕開けをグァタパラ誠グループの太鼓、殆どが女性で三人の非日系、カラオケでは清水総領事と宮崎JICA所長も参加され、カラオケ愛好会全員の参加、グァタパラ市の青年のダンス、サンカーロス市からの参加、伊藤カーレン・斎藤エジソンのデユエット、岩崎圭一氏のマジックショウ等で、司会は山田ゆみ、高木美帆さんの両人が務めた。


 二日目の演芸会は29種目で、前日に続き伊藤カーレン・斎藤エジソン・デユエット、岩崎圭一氏等と近隣のリベロン、サンカーロス、ジャボチカバル、タクワリチンガの風船マジシャン・竹田ルシアーノ、舞踊(藤間流)ピラシカーバの踊りが演出された。


 出店の方は、初日に一千人前後、二日目は二千人とみた。特に食べ物店が行列になるが、今年の場合それ程に感じなかった。移住者からの出店は昨年同様、自由市場とほぼ同じ、外部からはラン店、バイクの代理店、Tシャツ(アニメ画)、寿司店では稲荷ずしがあり、中に入れるしゃりが油炒めになっており、典型的な擬(もどき寿司、ビジョテリア(ジュエリー)、日本的小物、出版物等とミツ、甘ナットウ、レンコン、チョコレートをベースにした菓子、ミソ、ラッキョウ、苗店・多肉植物・イチゴ等、金魚すくい。弁当は比較的に非日系は焼ソバ、日系の方は飯類を求めて箸を動かしいた。


 農産物展示は別項で記す。


 総領事、JICA所長は5日から移住地を訪問されて居り、当地を視察、農業協同組合、テクネス肥料会社を訪ねた。公民館前の感動の碑文字のペンキが薄かった物が、ここも新たに塗られていた。


 

式典挨拶

 

 皆さん、おはようございます!

 本日はブラジル日本移民116周年、グァタパラ移住地62周年を迎える事が出来、嬉しく思います。サンパウロ総領事清水享様、JICAサンパウロ支部長宮崎明博様、サンパウロ文協山下様、谷口県連会長、島袋援協副会長、植草日本人学校々長、ヴィセンテ・グァタパラ市長、お忙しい中ご出席頂きありがとうございます。


 また、この入植祭、収穫祭が出来ました事は役員の方々、会員一同、そしてたくさんの企業のご協力に心から感謝申し上げます。


 グァタパラの入植祭は収穫祭でもあり、昔は移住地で収穫された米、大豆、とうもろこし、マユ、卵、野菜、蓮根など様々な農産物が展示されましたが、今は世界中でも発生している気候変化により、作られる物が少なくなっています。これから先もますます農産物作りが難しくなることでしょう。


 今現在、移住地に住んでいる会員は約300名です。その約30%の方々が65歳以上となっています。その為、移住地にも老人ホ—ムが必要になるのではと考えています。ここにそういった施設があれば働き盛りの若い方達も安心して仕事に取り組むことが出来るのではないでしょうか。


 昨年からフェイラ・ダ・コロニアを始め、月一回ですが、かなりのお客が訪れています。これに日本文化を含む史料館等を加える事が出来ればもっとお客を惹きつけることが出来移住地の発展に繋がり、ここで生まれた子供達やこれから生まれてくる子供達にも新しい希望と夢が生まれるのではないかと思います。これからも移住地発展に領事館とJICAの御指導、どうぞ宜しくお願い致します。


 この度、総領事清水様とJICAの宮崎様が二日間かけて移住地訪問して頂き、まことにありがとう御座いました。これまでにないことです。


 昨年から当文協会長を受け、色々な意味で大変さを感じました。だがこの移住地発展の為に役員の皆さんと一緒に価値あることを、僅かですが出来ていると思います。これからも会員のご協力と共に移住地の改善を願っています。


 私事になりますが、今年の入植祭には私の一つの夢を叶えます。それは父に引き継ぎ、この移住地を盛り上げるために有名なマジシャンをお招きする事です。2022年にプリテンズ、ゴット、タレントで日本人初となるゴールデンブザーを獲得した岩崎圭一さんをその時ユーチューブで見て、彼のパフォーマンスに惹かれ是非連れてきたいと思いました。見事連絡取れることができ、お招きする事が出来ました。岩崎さん、夢を叶えてくださりありがとうございます。この二日間にパフォーマンスをして頂きますので皆様に楽しんで頂けると嬉しいです。岩崎さんも、ゆっくりグァタパラを楽しみ、これからも愛車ママチャリと手漕ぎボートの旅を楽しんで無事日本に帰られる事を願います。そしていつかまたグァタパラに来てください。


 皆様方のご健康とご多幸を祈り挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。


   2024年7月6日 祭典委員長

             高木ウイルソン

 

 

祝辞

 

 本日、グァタパラ移住地入植62周年記念式典に及び、入植祭、並びに収穫祭が、清水享総領事、文協会長、日本からのご来賓の皆様に及び、多くの慶祝友好者のもとに、挙行されますことをブラジル日本都道府県人会連合会を代表いたしまして、心からお祝い申し上げます。


 グァタパラ移住地は入植62周年、常に結成されて以来固い絆で結ばれて居られています。その歴史の積み重ねが今日のグァタパラ移住地会に至ったことは歴代会長、会員の努力はもちろんですが、このように盛大に行われるのも現役会長高木ウイルソン様はじめスタッフ皆様のご協力と認識し、改めて敬意を表します。


 遠い過去に顧みると、1908年6月18日、最初の移民船「笠戸丸」がサントス港に入港し、ブラジルにおける日本移民の第一歩が始まりました。そのうちの何人かは、別の地区のリーニャ・パウリスタ線のエスタソン・グァタパラでコーヒー栽培に向かう予定で、通訳の平野運平氏(静岡県出身)が合計88名を率いて、サン・マルティーニョに向かう移民たちを伴い、6月28日に移民収容所を出発しました。23家族で構成されていたその団体は鹿児島県から18家族(67人)、高知県から2家族(12人)、新潟県から3家族(9人)でありました。それが初代のグァタパラ植民地の日本人移民でした。


 以前、ファゼンダ・グァタパラに入った最初の移民は、ファゼンダ・グァタパラの創設者マルティニコプラド(奴隷制度廃止前)によって連れてこられたイタリア人でしたことを資料で分かりました。


 それから戦前移民者は幾多の困難を乗り越えた後、グァタパラ農地は再び1958年に日本の植民地会社(移植民有限持分会社)JAMICに売却され、現在はそこにグァタパラの植民地の中核が置かれています。

 この機会に、訪問者の皆様には、たとえ短期間であっても、できるだけ多くの人々と交流し、グァタパラに住む人々との親睦を深めていただきたいと思います。


 最後に、グァタパラ農事文化体育協会のますますの発展と、本日ご出席の皆様のご健康とご多幸を心より祈願し、私のご挨拶とさせていただきます。


  ブラジル日本都道府県人会連合会

        会長 谷口ジョゼ・真一郎

 


62周年祭・収穫展示物

 

 今年の展示会場は公民館に替わり、スポーツコートには子供達の遊戯場が設置される。

農産物野菜140点、鶏卵7点、果実18点、穀物1点、他43点(マンジョッカ、レンコン、黒ニンニク)、工芸品20点 出品物合計229点、児童作品数は含まず。


入賞品金賞15点、銀賞15品、銅賞15品、特別賞2点。


金賞伊藤愛子(野)、鈴木清彦(野)、吉嶺マウロ(野)、高木みよ子(野)、林良雄(野)、

   池津純一(野)、吉嶺マウロ(野)、上原康司(卵)、吉岡美津子(手)、山口香織(手)

   吉嶺ルシア(手)、木村千恵子(手)、小林美月(日語)、佐伯真依(日語)、福嶋永志(日語)

銀賞鈴木俊治(野)、鈴木清彦(野)、吉岡昌子(野)、近藤四朗(果)、守屋妙子(果)、荒川照(野)、

   脇山謙助(卵)、金箱和江(手)、高木敏江(手)、落合としえ(手)、脇山純代(手)、

   井上千枝(手)、斎藤ヒカリ(日語)、マリア・バルボーザ(日語)、小林李瑳(日語)

銅賞吉嶺ルシア(果)、川上修司(他)、吉永隆文(他)、高木雅治(他)、吉永隆之(他)、

   斎藤長一(卵)、中塚洋子(野)、上野真喜子(手)、小林李瑳(手)、近藤安里(手)、

   設楽紀美子(手)、吉永アケミ(日語)、福嶋アリーネ(日語)、アリセ・ヴィエイラ(日語)

特別賞白水伸祀(他)、竹中みち子(手)


 

第59回グァタパラ運動会

 

 寒気が身を切るようで身体が痛む朝だった。太陽光パネルの設置された、運動場の外側のアランブラードに囲まれる。今年の観客席はテンダに替わり、日中の焼き込みが緩和された。その上簡要トイレ男女用が3ヶ所に備えられた。


 7月20日、朝にしては風も有り鯉のぼりがよく泳ぐ。入場案内があり白、黄と続く。入場時の参加者は大、子供合わせて100人前後。


 開会の辞は、海老沢光次郎総務から告げられた。両国旗、国歌を脱帽して参加者全員で斉唱。司会は今年も井上操氏が務める。優勝旗、優勝杯返還。高木ウイルソン大会委員長がポ語で開会の挨拶、野球部々長海老沢光次郎氏もポ語で挨拶、松田信義体育担当・審判長もポ語で挨拶と注意・決めごとに注意すること。選手宣誓は日本語で白水達也君が元気に宣言された。ラジオ体操は5人の野球部員の下で参加者全員が体を解す。今年も敬老者の接待を婦人会役員が務める。応援には工夫をこらしA区の赤は龍踊り(注:数千年前、中国での雨乞いの儀式として行われた。その後、お祝いや祭りの時に行われるようになる)赤い発煙をたなびかせる。B/C区の黄は20Lカンの様な物で太鼓とする。D区の緑は岩崎氏の世界一周自転車を緑色に模造と、緑のマトイの下に折り鶴、E区は白色の旗・白の風船等であった。競技入り。


 今年も最初の区対抗は時間ゲーム(ゲートボール、球投げ、バスケット、サッカー、カギ開け、縫物、計算)緑2分27秒、赤2分48秒、白3分45秒、黄タイム・アウト。特に計算の所に学生を入れたのが効果的であった。ミリョー拾いは箸を使うので、全員が日系人であった。次の区対抗は8歳〜20歳までのちょっともう一杯で黄4,赤3,白2,緑1,3番目の区対抗1000メートルリレー競争黄4、緑3,白2,赤1,4番目の区対抗ゲートボールリレー黄4,白3,緑2,赤1.


 昼食の少し前、隣の黄色組席に初老の胡麻塩で長髪のもじゃもじゃ頭の日系人が居るに目が留まる。外科医の上原氏と知らされる。以前の容姿とは別人と思える程の変わり様。


 午後になり、5番目の区対抗は家長のちょっともう一杯で黄4,緑3,白2,赤1,6番目の区対抗は婦人のちょっともう一杯で黄4,赤3、白2,緑1,7番目の区対抗はタイヤ転がしリレー赤4,緑3,白2、黄失格。8番目の区対抗は総合リレー黄4,緑3,赤2,白1.


 優勝が黄(B/C区)26点、二位が緑(D区)20点、三位が赤(A区)18点、四位は白(E区)16点であった。応援賞は黄が一位、赤が二位、白が三位、緑が四位であった。

 


人物紹介

 

 先般、東京外国語大学博士後期課程中の小島クリッシイ・りかさんの訪問を受けた。

 卒論に「日系人アイデンティティの多様性と複雑性」。その説明に、過去から現在までブラジル社会でどのようにして「日系人」という言葉が現れ、それまでの日本人移民社会を変容させ、解釈されてきたのかを明らかにしていくことを目的とされる。


 この小島さんについて記すと、1995年栃木県足利市で二重国籍で誕生。足利市は工場地帯で、日系出稼ぎ者も多勢する。


 父方はグァタパラ移住地の小島忠雄・智子夫妻の次男忠雄氏と、パラナ州マリンガ市出身の母レナッタさん(旧姓・憑子)の長女として出生。その後4歳〜9歳までマリンガ市で生活していた頃、グァタパラ移住地に2〜3度訪れる。


 そして、再び親が日本行きのため付いて行き、日本語の全く出来ない中、小学4年生に編入。会話が出来るまで取り出し授業をうけ、中学1〜2年頃は不登校。出席日数が不足するので今度は学校の医務室へ身を寄せた。偏差値最低の落ちこぼれで、高校合格は限られた高校入学となったが、3年間中英語の出来が良く、担任教師に恵まれ励まされ、地方の大学へも進学出来た。親からの協力は大学一年時に母から百万円手助けしてもらい残りは奨学金を受け、現在でも支払い中である。祖父母からも色々協力をして頂いたが、祖母が脳卒中でたおれ祖父がその介護にあたる。


 大学卒業後一年間アルバイトでホテルに働いたが、英語を専攻していたので、日本で一番英語に強い大学の東京外国語大学院(東京外大)へ。


 6月16日〜8月末まで(2ヶ月半)ブラジルに滞在し、体験談、「日系人」に対する解釈、同化程度、デカセギ経験、アイデンティティの葛藤等をインタビューされている。


 博士課程の卒論にこのテーマを選択したのは、たまたま言語が出来ない為、大変な思いをして言語を習得、またこの様な環境下に置かれている子弟が数多居る事に自分自身の体験をもって痛切した。


 最後にブラジル日本移民150周年頃に、何か私でも「日系人」の一員として協力出来たらとの願いを語っていた。


 

読書三余

 

 月始めの黄昏れ後から毎日が寒い為外出を差控え、読み止しになっている数百冊の書籍の読書三余を再開し始めると、ある一冊の松本清張著作で短編小説「田舎医師」と言うタイトル。宍道駅発の木次線で八川駅から三里(約12km)ばかり山奥の葛城村(島根県仁多郡葛城村)。


 この路線は故野津春雄氏の出身地方にあたる所で、野津氏は横田町である。この舞台になっている葛城村をグーグルマップで検索したが、八川駅までであった。本の中では小さな集落で冬は深雪。これに促され日本地図帳を広げ、島根県を調べながら移住地出身者の出身地を参照してみた。


 山陰本線の島根県内で大きな駅は米子、松江、出雲、石見太田、浜田、増田。これを鳥取県寄りから出身者地名を記すと、八束郡玉湯、唯一私の持っている日本地図帳に掲載されておらず、グーグルで検索すると2005年3月、松江市に統合々併、出雲市西神西、仁多郡横田、太田市、飯石郡掛合、飯石郡赤来は殆ど広島との県境、邑智郡石見、石見断魚、邑智郡瑞穂、浜田駅の先で少し入り込んだ所に那賀郡三隅、その奥に那賀郡弥栄、益田駅発の山口線で津和野の手前の鹿足郡日原を見出せた。

 


お詫びとお知らせ

 

 7月号をプリントへ持って行くと、グァタパラ新聞の外枠が消えており、その日の前日砂糖キビの収穫コンバインが電柱を折り、コンピューターも少しトラブッた。気にせず、そのままデスクトップに入録して持っていったらその問題があり、文協事務所でデスクトップの前の分で枠を作るが、新聞のバックナンバーが日本語で作成している為、修正出来ず7月号は590で8月号591になりますので、お詫びと訂正を知らせておきます。

 


パンに高濃度のアルコール

      ブラジル日報既報記事


 有名銘柄のスライスパンに高濃度のアルコールが含まれていることが判明。中には、ドライバーが飲酒検査に引っかかる可能性があるほど含有量が高いものもあると報じた。伯国ではアルコール含有量が0,5%を超える飲料はアルコールに分類される。


 今回の調査では、ヴィスコンテの3.7%、バウドウッコの1.17%、他6銘柄で0.51%以上のアルコールが検出された。


 パンに含まれるアルコール成分はパンを膨らませる発酵過程で生じ、大半は焼成時に蒸発する。また、国内で生産したパンの10%はカビのせいで失われるため、アルコールで希釈した防カビ材を使用しているが、これも消費者の手元に届く時には蒸発するよう規制されているため、パンに残っていたアルコールの濃度はパンの保存状態を保とうとした証拠とみられている。

 この様な為、酒気帯び運転の可能性も。

 


50ドルまでの輸入品課税

      ブラジル日報既報記事


 これまでは50ドルまでの輸入品に対しては商品流通サービス税(ICMS)だけが課されていたが、今後は20%の関税が課される。50ドル以上の商品に対しては、60%以上の関税が課される。課税は8月1日から実施。個人購入の薬品は課税対象から外される。


 

入植祭展示俳句 グァタパラ俳句会

 

望郷の便り届くや冬暖し     脇山クララ


高齢の健康体操冬暖し        〃


厚化粧棘を隠して冬薔薇     富岡 絹子


冬温し喜ぶべきか温暖化       〃


故郷は遠き十代木葉髪      田中 独行


戦へば流れ逝く星冬暖し       〃


窓を差す光と影と秋の風     菅原 治美


草紅葉踏まれる事も物とせず     〃


六十年変らぬ暮し大根干す    近藤佐代子


老夫婦希みささやかきゅうりもぐ   〃


この残暑地球狂いしかと思う   高木美代子


五月晴れ百歳生きる世となりぬ    〃


朝焼けの朱色に魅せられ立ち尽す 林 みどり


芋掘りて実りの秋となりにけり    〃


先駆者の心引き継ぎ移住祭    小林 敏子


村祭り老若共に輝けり        〃

 


【編集後記】


 運動会の準備に出掛けるが、今年はテンダで殆ど手を出すことがなく、有っても梯子を使うものなので眺めているだけであった。そんな中、休息の知らせがあるが、何もしていないので行きあぐねてると、そこの横に居た人に誘われたので、何もしてない自分なのでと言うと、「枯れ木も山の賑わい」と気楽にすることを言われ少し楽になった。


 7月にジャボチカバがたわわに実を付けるし、カランボラ(スター・フルーツ)も夏季とかわらず実を結んでる。これも温暖化なのか、ジャボチカバは一度も冬の季節に実を付けたことが無い。

 

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