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グァタパラ新聞2024年7月号

私の住む日本の関西では、気絶しそうな暑さが続いています。全国的にも農作業中に熱中症で亡くなる方が相次いでいるようです、、。宇宙船地球号は、どうなっていくのでしょうか???

そんな酷暑の中ですが林良雄さんからのグァタパラ新聞7月号をお届けします。

漆喰鳥の巣(俗名:カマドドリ)


文協第四回定例役員会 2024.6.8

 

協議事項


一、日本祭りへの参加だけにして、聖市内への買い物は差控える。

一、渡辺政行氏、正会員に加入。

一、ラリッサ・ベンジッテさんの会館内の改装見積り予算が承認される。

一、マルセーロ・ア・パノッシ氏の会館屋根改修見積り予算が承認される。


【訂正】

6月号記載の役員会事項、慰霊祭開催の月日7月9日を7月6日と訂正致します。

 


自由市場開催

 

 6月16日、雲一つない快晴で気温も穏やか、イッペイ・ホッショも咲き晩秋の季節であった。新しい食べ物としてクレープ(型の中へ串を入れて焼き上げる)、あおやぎ、野沢菜(漬物)。


 出店は12店で、18名の参加者であった。60脚のテーブルと240脚のイスが準備された。各店の品々を今回も、重複しながら記す。


 板作りの物入れ、手籠、ラン、ツツジ、毛糸作りのキーホルダー、携帯入れ、手提げ、エプロン、フキン、ススピーロ、パリャ・イタリアーナ、弁当、コロッケ、シュークリーム、野沢菜漬け、キュウリ漬け、カブ甘酢漬け、ウリの粕漬け、大根漬け、バージン(莢豌豆)、チンゲン菜、カブ、里芋、シューシュ(隼人瓜)、春菊、小松菜、ブロッコリ、ネギ、メニーナ(南瓜)、バナナ、マモン、ニンニク、黒ニンニク、福神漬け、梅干し、花ウメ、カリントウ、センベイ、鯛焼き、アゲ、ジャム、海苔巻きの輪切り、紋形饅頭、肉マン、焼饅頭、蒸し饅頭、テンプラ、ワッフル、ツマミ饅頭、あおやぎ(アラルッタ)、卵、タペッテ、納豆、小物入れ、トッカ(和風生地)、毛糸トッカ、地鶏卵、白卵、カリントウ、味付シメジ、花ウメ、ガリ(生姜)、シメジ(生)、ジメジのバター炒め、オニギリ、カレーライス、酢レンコン、大根漬け、甘ナットウ、レンコン・シュッピス、マンジョッカ・シュッピス、焼ソバ、トリ串、寿司(カッパ、サーモン)、ギョウザ、焼ソバ、ドライフルーツ(ザボン)、冷やし中華、弁当、焼饅頭、蝶ネクタイ(フェスタ・ジュニナ用)、ヘアバンド、焼き芋、バイアーナアメ、マッサンアモール、パステル、オニギラズ、オニギリ(マグロ、塩味等)、オカキ、ツマミ豆、カキモチ、カリントウ、アゲ、ギョウザ、肉マン、蒸し饅頭、焼饅頭、餅、大福、ジェラチン、梅干し、福神漬け、ヒョタン作品、ミニオン人形、レース糸人形のキーホルダー、ヒョウタン人形、トウモロコシの

皮で小籠、日本人形(模作)、苗木・ピタイア(赤、白、黄)、クレープ・パリット(アンコ、ヘケイジョン味)、リシア・ジュース、ドリンク(ボージカ味)ハスパジーニョ、ポーパ・デ・ピタイア、水、飲料水、ビール、スッコ、焼トリ、カキ氷。


 ATM決済機やPIX支払いも板に付き、すっかり定着した感じである。

 


グァタパラ市長逝去

 

 去る6月3日、ジュラシ・コスタ・ダ・シルバ市長が、リベロン市内サンパウロ病院において74歳で逝去された。リベロン市クリニカ大学病院へ健康チェクで入院、その後サンパウロ病院で急性肺炎で亡くなられる。フェルナンドポリス生れの市長は、普段バナナ帽をかぶり自転車に乗って、グァタパラ市内を徘徊していたのを良く目にしました。二期目の最後の年の任期であった。

 ご逝去を哀心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。

 


公民館の改修工事

 

 6月13日〜6月19日間中、屋根のスレートの交換を手始めに行う。

 公民館は入植二十周年記念に建立され、築40余年が経過する。

 トタンの裏側に断熱加工が施され、下屋の屋根材と同じもの。28日現在、今日で施工終了予定。この日会館前の所に職人が乗っていた。

 お祭りまでに残すところ一週間、改修工事が施された会館がお見えする。

 


モンブカ湖の清掃再・再開

 

 モンブカ湖の清掃が再・再開が6月24日から再度。西側をバック・ホーで東側と並行するぐらい堀上が進んだ。再開時の折は一週間程で工事が途絶えてしまった。28日の今日現在、モクモクと機械が作業中で奥の方に中洲状態で水草が残っているが、あと僅かで概ね終了する。


 今度こそは終了まで続けてほしいもの。広い川面を眺めると気持ちが和む。入植当時、多くのカッパが湖水で戯れていたことを思い出す。そして、この湖水を飲料水に使用し、雨が続くと水が濁り、毎日が赤飯(赤み掛かった汚水で炊飯)だったと聞かされた。そんな思い出深いモンブカ湖が、タボン(蒲の穂)が湖一面に繁茂していた。


 それと湖というが、深水の深さでは沼の内である。


 グァタパラ耕地時代、灌漑用にモンブカ川をせき止めたものであり、その上に軽鉄を敷設し、現在の近藤雄大氏の住宅地付近に線路のポイントがあり、旧6区の下側を進んで旧1区の三浦、田中氏宅付近まで敷設されていた。ここからは砂糖キビを運搬、旧4区の石崎氏宅地になる前はレンガ工場があり、ここではレンガを積み出した。旧6区付近ではマンジョッカが栽培され、それを積み出した。


 また、野津、中島宅地付近には牛の追い込みがあったり、その先の低地に小川が流れ、小橋が掛けられ旧2区地方面へ行き来が出来、この低い所では米作りが行われた。以前にも触れたが、健次兄の入植した宅地内で、日本の赤い一銭銅貨が、野菜の流し水掛中に表面が洗われ出てきた。

 


第39回ブラジルゲートボール大会

              新田 孝二


 第39回ブラジルゲートボール大会が、今年はサンパウロのカウカイア市で5月18、19日に開催され、リベロンから4チーム編成して人が足りないから参加しないかと、誘われました。


 上はブラジリア、ミナスゼライス、マットグロッソ、リオデジャネイロ、下からパラナ、サンタカタリーナ合計120チーム(約700人)の選手が勢ぞろいした。


 カラオケでも活躍している阿部アツシ(ダイプロ)の司会で、地元のジュリオ柳生会長の大会宣言があり、年齢順に3グループのカテゴリーに分け、18日が6チーム総当り戦で、勝ち抜いた約半分のチームが19日にトーナメント方式で入賞チームが決まる。


 私達は一日目、3勝2敗で予選を通過して、トーナメント第一試合はリベロン同士の戦いで、私達のチームが勝ったが準々決勝でドウラドスに敗れ入賞ならず。


 リベロン地方は東北連合会で、リベロンAチーム、モンテアルト、リオプレット、グァイラチームが第三位に入賞した。リベロンAチームは過去に優勝したこともあり、東北地方は比較的強いチームが居ることが分かった。


 この大会に参加して、またしも私にとって偶然の出会いがあったことを書きます。18日の夜、リベロンチーム20人で夕食に日本食のレストランをネットで調べて、宿舎から2キロ地点に出向いた。握り寿司がおいしかったので、店長を呼んで色々話をしてみたら、自分は上村俊彦で6歳の時にブラジルへ来たのであまり日本語は得意ではないと言っていた。上村といえば洋子ちゃんも上村だったと思い出して、名刺交換をした。私の名刺を見て、お宅はグァタパラですかと聞いて、渡辺洋子をご存じかと言った。自分の従妹だと言うので、クーニャの隆則君と従兄弟になることが分かった


 偶然はこれだけではなかった。私達がゲートボールでカウカイアに来ていることを知り、自分は地元の日本人会の祭りに日本食の店舗を出していると言って、柳生会長には世話になっていますと話していた。そこでついでに、このクルーベの隣にコペル・コチアのクルーベがあるが、そこの会長が私の再従兄弟で新田博和(以前の記事にも書いたことが有りますが小林敏子さんの妹さんと結婚している)、彼を知っているかと聞いてみた。コペルにも店舗を出させてもらっていて、昨日会合をして新田はよく知っているという話になった。その縁で、私達に特別イカの刺身や焼酎を無料でごちそうしてくれた。 感謝。

 

・上村俊彦氏と新田孝二氏。

 


埋草・同窓の回想録・記録編

 

グァタパラ小学校1989年度卒業生(聞き取り調査)


・杉本義明 親の出身県岡山県児島郡灘崎 生年月日1979.1.17 リベロン・プレット市在

 マサージ士。

・脇山和也 親の出身県佐賀県佐賀市半田 生年月日1979.1.19(妻・アンナ)日本就労 一男あり。

・中塚広行 親の出身県長野県下高井郡中野 生年月日1979.1.23  社員 グァタパラ在 一男あり。

・斎藤健次 親の出身県山形県村山市楯岡 生年月日1979.2.25 リベロン・プレット在  定員。

・妹尾健治 親の出身県岡山県岡山市 生年月日1979.5.3 グァタパラ在 社員。

・小林加弘 親の出身県長野県東後市 生年月日1979.5.4 (妻・美紀)グァタパラ在 農業

 二女あり。

・渡辺新一 親の出身県茨城県つくば市小野崎 生年月日1979.5.31(妻・恵美)グァタパラ在 

 養鶏 一男一女あり。

・門脇健三 親の出身県鳥取県西伯郡大山町平木 生年月日1979.6.17  日本在 就労。

・杉本美奈 親の出身県岡山県児島郡灘崎 生年月日1979.1.17  リベロン・プレット在

 マサージ士。

・和田チエミ 親の出身県島根県飯石郡赤来 生年月日1979.2.4 (現姓・海老沢)

 ジャボチカバル市在 食糧店 一男一女あり。

・長谷川小百合 親の出身県千葉県佐倉市南臼井 生年月日1979.8.13

・中塚きみ子 親の出身県長野県下高井郡中野 生年月日1979.5.16 (現姓・多田)グァタパラ在。

・馬庭クリスチーナ 親の出身県島根県出雲市西神西町鳥目 生年月日1979.7.17(現姓・杉本)

 バイア州在・堀田農場 一男あり。

・脇山栄子 親の出身島根県都濃郡弥栄 生年月日1979.9.5(現姓・菅原)サンパウロ市在

 一女あり。

 

1990年度卒業生(聞き取り調査)


・杉本重行 親の出身県岡山県児島郡灘崎 生年月日1980.3.21(妻・クリスチーナ)

 バイア州在・堀田農場農業技師 一男あり。

・吉岡エミ 親の出身県岡山県都窪郡茶屋 生年月日1979.11.20(夫・ジョルジェ)グァタパラ在

 養鶏業 三男あり。

・寺内礼香 親の出身県島根県邑智郡石見町 生年月日1980.2.2 アララクワラ市在。

・菅原裕 親の出身県山形県鶴岡市 生年月日1980.2.4(現姓・上原)サンパウロ市在

 三菱社員 二男あり。

・真名子節子 親の出身県岡山県南町 生年月日1980.6.18(夫・ファビオ)日本在・群馬県 就労。

・高木愛恵 親の出身県茨城県新治郡石岡市中山 生年月日1980.7.19(現姓・浜田)

 日本在・愛知県。

・和田カオリ 親の出身県島根県飯石郡赤来 生年月日1980.10.26

・設楽美椰 親の出身県茨城県西茨城郡友部 生年月日1980.11.4 サンカーロス市在。

 

1991年度卒業生(聞き取り調査)


・大野泰喜 親の出身県山形県鶴岡市 生年月日1980.10.10 日本在 就労。

・雫田政彦 親の出身県長野県佐久市 生年月日1981.3.26(妻・優子)グァタパラ在 液卵業

 一女あり。

・多田豊希 親の出身県山形県東村山郡山辺 生年月日1981.7.22(妻・きみ子)グァタパラ在

 養鶏業 一女あり。

・新田真悟 親の出身県島根県邑智郡瑞穂町市木 生年月日1981.7.28 オランブラ市在

 種子会社・農業技師、一男あり。

・渡辺政重 親の出身県茨城県つくば市矢田部 生年月日1981.7.30(妻・幸枝)日本在就労

 二男あり。

・長谷川秀明 親の出身県千葉県佐倉市南臼井 生年月日1981.11.13 日本在 就労。

・真名子善博 親の出身県岡山県南町 生年月日1981.11.25

・直原美子 親の出身県岡山県久米郡中央 生年月日1980.7.17 ミナス州ベロ・オリゾンテ市在

 一男二女あり。

・井上麻椰 親の出身県山形県西村山郡西川 生年月日1981.2.8(現姓・林)インダイアツーバ市在

 三男一女あり。

・真名子淳子 親の出身県岡山県南町 生年月日1981.11.11 一女あり。

 

1992年度卒業生(聞き取り調査)


・大野卓治 親の出身山形県鶴岡市 生年月日1982.5.17 グァタパラ在 農産加工。

・茂木常吉 親の出身県山形県北村山郡大石田 生年月日1982.6.1

 日本在・千葉県デルタ航空勤務後 アップル社員 就労。

・直原良一 親の出身県岡山県久米郡中央 生年月日1982.10.18 日本就労後、ソロカバナ市在

 一女あり。

・井上亜椰 親の出身県山形県西村山郡西川 生年月日1982.1.25 グァタパラ在 市役所職員

 一女あり。

・菅原香里 親の出身県山形県鶴岡市 生年月日1982.2.1 インダイアツーバ市在トヨタ社員。

・中島みつえ 親の出身県長野県南安曇郡穂高 生年月日1982.2.20 サンパウロ市在社員。

・岸田小百合 親の出身県茨城県那珂郡大宮町 生年月日1982.3.23(現姓・上田)

 日本在住・岐阜県 一女あり。

・林 真奈美 親の出身県茨城県鉾田市大字濁沢 生年月日1982.4.6

 サンパウロ市在SCN(ナシオナル製鉄会社)社員。

・和田ミユキ 親の出身県島根県飯石郡赤来 生年月日1982.6.9

・岡田アンナ 親の出身県長野県上水内郡信濃 生年月日1982.6.27(現姓・脇山)日本在 就労

 一男あり。

・小林克江 親の出身県長野県東御市 生年月日1982.7.2(旧姓・安谷屋)。

 

これ以後の卒業生について。

 モンブカ校(移住地内小学校)には卒業生に関しての資料は保存されていないことから、1969年から開校されたグァタパラ市内中学校へ、2008年3月に5日間出掛け卒業生の資料を調べましたが、そこに保存されていた資料内には私の子供たちの卒業に関する名簿を見付けることが出来なかった。長女真奈美が卒業した時は、まだ州教育局管轄であり、父兄会の責任者を務めていたので覚えています。その後、数年でモンブカ校はグァタパラ市教育管轄に移管される。1985年を境に、その後の卒業生名簿を見出せなかった。きっと保存されていると思うが、これまでの資料管理に少し疑問と不安を感じます。資料管理棚(開閉ドアの付いたトタン製の戸棚)にぞんざいに扱われていた。学校側の話では、州から郡教育局に移管され、この移動で以前

の資料が地元に保存されたようですが、部分的に資料の欠如があり、しかも比較的新しい年代の資料が不足していました。年代が若いので調べれば入手出来、散逸はないと思い、この時はこれで資料調査を打ち切りましたが、以後出来るだけ聞き取り調査を加えました。そして、これ以後には掲載写真がありますので記載を手持ち写真のみに留めました。


 蛇足ですが、私の父兄会時代JICAから補助金の残高が少しあるので、小学校で必要とするものに使うようにと話がありました。学校側では、使用瓦が悪いので(バリーニャ瓦)葺き替えたいと望まれたが、それほどの金額にならず天井の改修工事に充当しました。またその後、日本から藤沢つくば市長本人出席で教材協力がありました。


 付記:長い空白期、間に橋を架けようと手紙を書くが無の礫、また日本の電話ではないですが、聞き取り調査で古い電話番号を書き留めた番号で押すと、お掛けになった電話番号は使用されておりません。電話番号をもう一度お確かめ頂きますか、局番・・・でお確かめ下さい。この頃、電話番号の改正で多くの所を調べることが出来なかった。

 次の余白で写真を掲載し、同窓の回想録を終了したいと思います。

 


俳句 グァタパラ俳句会

 

夕暮れと見間違うような野分雲   菅原 治美


荒れ狂う大地の怒りか野分吹く   富岡 絹子


小花菊祝いの席に華やかで     脇山クララ


おいしさを菜虫とわけ合う自家野菜 高木美代子


鉢の菊ふれれば放す香かな     田中 独行


大野分砂糖キビも横倒し      林 みどり


移り来て終の住処に菊薫る     近藤佐代子


花祭り菊人形のもの憂げな     脇山千寿子


〔次回兼題〕冷たし、木の葉、毛布、当季雑詠


 

【編集後記】


 すっかり風呂の恋しい季節となった。夜の招きはありがたいが、寒くなると体が動かなくなり、体の痛みが増すので出惜しみしている。


 血圧も降下剤を服用しているが150以上で、担当医師から渡された血圧測定器で朝夕測定記録を4日間記録した。高い時で155,低い時で129、朝放尿後測定する様、夕方は夕食前、どちらかというと夕方の方が低かった。血圧降下剤は2.5mgで一番少ない分量の錠剤である。血流改善にタマネギの生をサラダで一日一回食べているが、家系で血圧は兄妹共に高いので注意はしている。

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