グァタパラ新聞2023年4月
- 2023年4月26日
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更新日:2023年11月3日
私の住む芦屋市では、4月23日、市議会議員選挙と市長選挙が行われ、4月は連日、街中を選挙カーが走り回り、駅前では街頭演説の声が響き渡っていました。選挙の結果、史上最年少26歳の市長が誕生することとなり、我々は社会人経験の少ないこの若い青年に芦屋の未来を託すことになりました。これからどうなっていくのでしょう??
さて、林良雄さんからグァタパラ新聞が届きましたのでブログにアップします。

リベロンプレット市
文協第一回定例役員会 2023.3.4
協議事項
各区総務委員の役割分担(敬称略)
A区 鈴木清彦:体育・演芸
BC区 上田洋希:農事
D区 渡辺光芳:環境・施設
E区 脇山謙助:墓地
後日担当の変更で
A区 鈴木清彦:農事
BC区 上田洋希:体育・演芸
財務委員 白水伸祀:日語学校
上原康司:渉外・書記
大野卓治:農事・環境
佐伯ジルソン:演芸・書記
池津純一:施設
吉岡美津子:演芸
一、鈴木清彦、渡辺光芳等は財務委員会にゲストとして参加する。
一、太陽光パネルの設置等で、会館改修の必要性もあり、その担当を池津純一と渡辺光芳が携わる。補佐に上 田洋希、藤山実が付く。
一、水道・機械委員長は吉永隆文。
一、2023年度の入植祭は7月15,16日の両日に決定。 同 運動会は7月29日。
一、自由市場に付いては、希望参加者を募り集会を行う。
一、水道・機械委員は五名とする。
一、治安部員については集会を予定。
一、日語生徒、誠グループにおけるピクニックはマジック・ガーデン行きで、経費の一部を助成する。
長寿会第一回誕生会
長寿会
グァタパラ長寿会では、去る3月4日土曜日、11時より今年度第一回誕生会を中央公民館にて、10名の新入会員を迎え楽しい一時を過した。
新入会員全員10名を加え、42名と成った会員の中、32名の出席で、午前11時近藤総務が開会、先亡者に対して1分間の黙祷を捧げ、老人クラブの歌を全員でCDに合わせ斉唱、続いて田中会長より、健康で長生きを目標に秘訣の発表や、講師を招いては等の挨拶が有り、近藤総務より10名の新入会員が紹介され、拍手を頂いた。続いて今度は、1月から3月生れの誕生者14名が紹介され、ささやかな記念品が贈られた。
ようやく待望の昼食会、馬庭監事長の乾杯の音頭で全員で乾杯をして昼食と成った。昼食は、渡辺洋子さんの和食弁当、殆どの人には食べ切れないほど有り、おいしく頂きながら隣同志でつのる話しに花が咲いていた。
お腹がいっぱいになった頃より宴会となり、今回は新入会員も加わり大勢が歌い、一人一曲ぐらいずつしか歌う事が出来なかった。
続いてビンゴ、3回行われ、1回目は大野さんに当り、初めてと大喜びで有った。
最後は輪投げ、一人3回ずつ投げ、1回目の得点でハンデーを付け平等にして行い、馬庭得夫さん、2回目に大量点を取り優勝、3位までの人にささやかな賞品が有った。
ケーキカットは誕生者の最高齢者で、女性が藤山節子さん95歳と男性が、鈴木俊治さん84歳が、ケーキに入刀写真におさまった。
雨の日の続く昨今、好天に恵まれ、3時半頃閉会。次回を約し、楽しい一時で有った。
コロナ二価ワクチン
3月10日は70歳以上に、コロナ二価ワクチンを接種(米国ファイザー社製ビバレント・二価)、さらに24日には60歳と年齢が下がって接種。24日は接種者も少なく待ち時間も僅かであった。2週間前の接種内容ではあまり痛みは無く、しかし翌日までの倦怠感があったと言われた。接種時は思った程に痛みも少なかったが、その日の夜頃には痛みが増した。翌日には腕の痛みは殆ど感じなくなったが、一日中頭が重かった。
昨年、最後(4回目)のワクチン接種日が私(編集者)の場合4月20日であり、すでに1年近く経過して居る。その間にはコロナウイルス感染も有ったが、病状も軽症で1週間程で陰性になった。ただ咳の方は長引いた。免疫抗体が低下して、今度の予防接種である。
深井戸と立木
2号深井戸敷地内に大きな立木があり、立木の上部に高圧線が通り、強風時には上部の枝に触れ、高圧線のヒューズが時折焼けていた。その為、高圧線に触れる部分の枝を切り落としていたが、それでも強風時には時折枝が接触した。
2週間前(3月18日)、その深井戸の先の電柱付近で、ウジーナの砂糖キビ積みのギンショが高圧線に触れ、スパークで積荷が燃え、高圧線を固定してある止め線がギンショの当った衝撃で切れ、碍子から外れ垂れ下がっており、立木を切っている人夫に知らせると大変危険と言うが、立木といいウジナの機械にはよく停電を強いられている。これで少なくとも立木からの停電は解放された。
埋草・続・同窓の回想録
紙気球(Balão)
ブラジル国内田舎の冬場、季節感を現した風物で特に6月29日サン・ジョアン(São João)にこの紙気球をよく上げていました。4角~6角と型は様々であるが、中の空気を暖める資材が小さなバロンで下からロウソク、炭火、大きなバロンでしたら薪であり、火力のある内は夜空を高く揚がっていますが、火力が下がると空高く揚がっていたバロンが下降を始め、火の気がなければ問題ないが、火の気があると6月の冬場の季節、農地一帯乾ききっており、そこにバロンの火種より野火、またどこに降りるか解らず、人家、工場などの火災を招くことが度々。禁止されて随分になりますが、中学生当時2度見ることが出来た。冬の夜空高く、ぽっと赤く灯って浮かんでいる物体をバロンと知らず、火の玉かな?それとも今話題のUFO(当時南米各地で最もさわがれ話題を醸し出す)かなと迷うころ、現地人の大人がバロンだと教えてくれた。現地の人々は未確認のこのての話題が大好きで、時には図解入りで取上げUFOの存在を肯定するほど歓迎されましたが、私は猜疑的にいぶかしく聞き入っていた。
乾燥した冬空の風物であるバロン、ブラジルの小学3年生の教科書で学んだが浮いている実物は初めてでした。また、バロンが地上に降りた物を一度見ることができ、竹ひごもしくは木を細く削り、4角~6角などの形に組、薄い紙をはり、暖めた空気が逃げないよう上部を塞いであるものでした。熱気球の原理とそっくり同じです。私は一度も揚げたことはないですが、当時田舎における冬場の夜空の風物詩の一つでした。
もう一つ冬の風物で、毎年6月下旬に催しされるフェスタ・デ・ジュニーナ(6月の田舎祭り)にダンサ・デ・ジュニーナは土俗的どぞくてきエスニックといえる田舎風で民族風習を感じる踊りであり、青年たちも踊るがこれはイモ兄ちゃん、ダイコン娘ちゃんもどきになり見栄えしないです。やはり男の子供たちが鼻ヒゲを書き付け、山高帽子のところをバナナ葉帽子をかぶり、女の子は三つあみ風のお下げ髪をこの帽子に取り付け、接ぎはぎだらけのズボン、スカートで大人に似せて踊る(児戯じぎ)、その踊りには躍動感がありユニークです。しかもアレンジすることなしに今日まで幼児、小学低学年など全国的に継続されております。この祭りは、ブラジル内で最も素朴なものですが、どうしてもサンバ調になってしまいます。日本の土俗踊りがトンビ風というなら、ブラジルのサンバはハチドリ風の舞と表現されています。
学友紹介
農学校裏口
右、下坂学
中、著者
左、ゾッカル
下坂 学 福島県岩木市出身1956年渡伯。
兄達の経営するミナス州カルモ・ダ・パルナイーバの農場を、当時のジャタック・センター所長塩谷哲夫氏の編集したビデオテープを拝借して内地のことも触れておりましたが記憶に止まらず、ただ兄達の農場経営には参加せず、カンピナース方面で単独で営んでおる。
農学校生活4年目の年(1969年)、高校に数名の日系人が入学して来た。ジャーレス出身の下坂?野球地方大会でジャーレス、ウラニア、パラナプアン、手前のリオ・プレット方面には数度遠征しており、ジャーレスの下坂さんは存知ていたが、私よりは遥かに年齢が隔てていたと思うが、それでも親族の一人ではないかと入学してから2週間後、中学ではあるが在学生ではベテランに入るので、中学にしろ、高校にしても新入生には「トロッテ」を強いて、新入生に色々悪ふざけの洗礼が待ち構えており、それらが治まるには1ヶ月近くかかり、その間ある程度先輩として距離を取る。最初に受ける洗礼が髪の毛への悪ふざけ、新入生も心得ており、当時は現在より相当過激でした。その面影の残る坊主頭の下坂君と、心安げになってから話だす。私がジャーレスであった方々は兄貴兄弟で「アンニャ」と称していた。幾度かジャーレスの話などで打解けた話も出来る間柄になった頃、リベロン市の中学へ転校、「受入先の学校に入れる席の有無が必要であり、その証明書を待っていた」。
転校してから数ヵ月経過して落着いた頃、久し振りに農学校を訪問、下坂君や1年から同級生で特に気の合ったサンタ・フェ出身のゾッカル君(ハグの説明者)と転校後の話題に花を咲かす。このゾッカル君は政府の役人に成り、2003年グァラニの土地なし農民の現場調査のおり、34年振りに私の所まで訪ねてくれた。僅かの時間しか持ち合せがなく同僚がグァラニで待っていることで、しかし全然昔の面影はなく、政府の役人になったせいか学生時代のように白い歯をみせ明るく笑うようなことは無かったが、それでも私の方は当時より老けた程度と以前の面影をしのばせる冗談を言って喜ばし、ほんの10分程度の再開でした。
楽しい一時を過し、いざ帰ろうとポケットに手を入れたら所持金が見当たらず、財布を使う習慣のなかった私は、きっとハンカチを取り出す折にでも落としてしまったのだろう。
その頃、7人組の内5人は在学していたが、疎隔が生じ会話すら途絶える間柄に成っており、下坂君にバス代を借用して帰る。其の後リベロン・プレット市で地方野球大会にジャボチカーバル代表で学校の大学第一期生であった有木(俗名ブダ)氏と他数名と下坂君も参加、この時以前借用していたバス代を返そうとしたが受取らず、借りが出来てしまった。後年農大学長になった有木氏とは、よく農学校のグランドでピッチングをして補給をしていただいた。
その後交流も途絶え、ある年(1991年)の冬、グァタパラ球場でOB野球大会が開催され、カンピーナスチーム中に下坂君を見つけ、募る話をしたものだった。その日は各チームグァタパラに宿泊予定であったので、昼食に帰宅して家内に下坂君を夜迎えようと話出す前に体調がおかしい、翌朝病院で診察の結果胎児の死亡が判明、下坂君にまた借りを作ってしまう。
それから13年後、2004年5月始めサン・ゴタルドからカルモへ視察する機会を得て、パット・デ・ミナスまで足を伸ばして松下農場の点滴灌水による、トマト地這栽培のその技術を充分に視察。その夜はカルモに泊った。 下坂匡さんとゆっくり打解けた話ができ、農高生であった市田君(栃木県宇都宮出身)、ジャボチカーバル農高入学後の教育援護、また実弟学君の大病などの話を伺い、カンピーナス在住の学君と久し振りに電話話ができました。
大国の中で、日系人の交流範囲は広いようで身近であると痛切に感じる。
・藤山 昭
彼の多種多忙にわたる勤務職場を思い出すほどにあげてみると、横木春由氏の支配人されるリベロン・プレット市郊外(クリニカ大学病院方向)のコチア産組鶏肉屠殺場、リベロン市内中央15公園のすく上の、退役ブラジル人写真店、サンパウロ市内で公務員試験準備にいそしむ頃勤めた田宮スーパー等、公務員試験中に、現行犯追跡に持ち時間中の走りの試験があり、スポーツを嗜むがあまり走りは早い方でなく、幾度も顎を出して走りの練習を見たことがあった。
その後、リベロン周辺小都市のイプアンを振り出しから始めた警察署長勤務ですが、各小都市勤務は3~4年で移転ですから、リベロン市周辺の小都市は殆ど勤務された。職務上制限があり、唯一小学、中学、高校を同窓とした彼であったが交流が少なくなる。リベロン市に近ずく頃、カンピーナス在住の渡辺氏長女京子さんと結婚される。
刑務所々長時代、刑務所周辺を徒歩で見回る中、所の裏側の壁と歩道帯の少し先を、野良犬がしきりと吠え続け、そうこうしている内に服役者達が脱走を企て中の、その脱走用のトンネル口であった。これが地方テレビに大々的に放映された。
また、麻薬摘発なども枚挙に遑が無く、犯罪者の報復を恐れ、知、友人にもそれが及ぶのを恐れ、年に一度以下の訪れに成ってしまった。訪れもワーゲンの大衆車、高級車を乗り回すと賄賂で動く署長と見られるので、高級車は止めていると言っていた。そういった中、拙宅を訪れた折、哄笑はするが目が全然笑っていないので、何時からそう成ったかと聞くと「なにが」と聞き直し「全然目から笑ってない」と言うと、職業柄何時の間にかこんな癖が付いたしまったと。「肺腑はいふを衝く言葉」と思いながらも。大変な職業なんだと心痛する。
後年、伴侶の京子さんの健康上で夫人の両親の膝元の、カンピーナス市へ移転された。職務柄ストレスも多く酒、タバコの嗜好も強く、この頃胃潰瘍で入院と聞き健康を案じる。
2015年に逝去。2週間後に京子夫人も昭の後を追うように死亡された。
届かなかった声
疾病と殆ど没交渉だった私(編集者)でしたが、2011年7月12日の転落事故後の、意識不明中の私の耳朶に捉えた呼び声は、そちら側からの「啓」さんの声のように響きました。きっと、とんだ迷惑な話。だがそちらの世界なればこそすべて許して下さい。今の啓さんはのんびりとし、殺生禁ずる世界だから釣糸だけの釣りですか。釣り人は、釣りすれど網せずと言う。決して多獲をさげすんで言うのではない。私は未だ毎日体の痛みを続けておりますが、もう少し生きろと静かに余生を送っています。でも時々持ってうまれた激しい鋒鋩ほうぼうを露わしてしまいます。同窓というより同業者といった方の濃い間柄でした。
こんなことを聞いた覚えがあり、明るい呼びかけは人の鼓膜を明るく振るわせると言われる。その内容が相手に理解されてもされなくても、鼓膜が物理的に明るく振えることにはかわりありません。だから聞えても聞えなくても、その叫びかけはきっと役に立つことだと言われます。
少年時代に肝臓を痛めている私は生臭い食べ物が苦手、無理して食べてもすぐ込上げ吹き出してしまう。この最悪の出来事が、見合い時に食卓で頂いた白ワインと川魚(草魚・チラピア)のさしみ、野趣溢れる味わいを楽しむどころが遠路の疲れのせいか、飲めないワイン、川魚の生臭さなどが相俟って噴出してしまい、自分の失態に翻弄する。これを啓さんに話すと、チラピアはともかく、川魚の生臭さドロ臭さを取り除く手法として、川魚の一番膨らんだ側線鱗の皮と肉の堺に細い筋が走っているので、それをピンセットで取り除くと生臭さが消える。また湯霜(湯にさっと通し)氷入りの冷水を通しても身もしまり生臭さが取れる。小骨の多い川魚は逆下ろして小骨も下ろす。大型の魚は背割りにしてピンセットでその小骨を取り除く。気に入った料理となれば手間暇もいとまない人で、時には得意満面を浮かべていました。私の好きなレアステーキ(牛肉の和風ロースト・表面をサッと焼き固めた「牛肉のたたき」)は奥さんの同窓生である美津子(旧姓・上原)さんが、腕に縒をかけて軽く焼けた見事な出来栄えを披露して下さり、器用に料理をすすめる方です。地元の食材での料理にはステータスのある人でした。健啖家の私は目を点にして舌づつみさせて頂く。レアステーキの味が口腔にひろがるように人情の味も胸に広がっていった。本当に寡黙の人でした。
俳句 グァタパラ俳句会
痩せ牛も丸みおびたる夏野かな 近藤佐代子
朝陽浴び葉影の下に天道虫 脇山クララ
大低地水の光かれる夏野かな 田中 独行
年新た悔いなき余生健やかに 高木美代子
小康を幸と思いて年迎う 富岡 絹子
果てしない夏野は空と交わらず 脇山千寿子
何げない会話をしつつ福笑い 菅原 治美
鶏舎跡夏野のようになりにけり 林 みどり
〔次回兼題〕新豆腐、草の穂、虫(虫時雨、虫の秋等)当季雑詠。
【編集後記】
農事部から今年も堆肥の配布があった。40キロ入りで一輪車内に置いて頂いたが、その後の扱いに手を焼く。全然重い物に対応出来ず、最後は一輪車ごと倉庫に転がす。2週間前の腰痛で懲りているので、よけい重く感じてしまう。
鶏飼いを止めて4ヶ月、それこそあたり一面草だらけである。野菜畑は辛うじて除草してあったが、これから先自家菜園作りが唯一の体動かしと思う。
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