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グァタパラ新聞2023年3月

昨日、京都市山科区の御陵(みささぎ)を訪れました。実は私、昨年から御陵にある栗原邸という邸宅の紹介ビデオを京都工業繊維大学の笠原一人先生と一緒に制作していて、栗原邸の建っている周辺環境を紹介しようと思い、近くを流れる琵琶湖疏水を撮影に行ったのです。栗原邸から少し疏水を下ったところには日本最古の鉄筋コンクリート橋もあるというので、こちらも見学してきました。ちょうど桜が満開で絶好の撮影日和となりました。


さて、ブラジルの林良雄さんからグァタパラ新聞が届きました。写真はグァタパラ移住地のメインであった、低地での米作に使用する灌水用ポンプとそのエンジンで、日本から茨城県で使用していた稲敷水田を参考にして、同様の機種を取り寄せたものだそうですが、あまり活用されなかったということです。

長い間使用されず放置されていましたものを、入植50周年時に丘地へ移動し、移住地の公園内に展示してあるそうです。


灌水用ポンプとエンジン


文協の主な経過報告


・1月4日ーモジアナ・ミネイロ砂取り業者2,000,00レアイス入金される。

・1月14日ーリカルド弁護士と元警察官2名を交えて財務委員会。

・1月16日ーサンマルチーニョ製糖工場より差額金の26,525,39レアイス入金される。

・1月23日ーカマール砂取り業者958,00レアイス入金される。

・  同  ー婦人会の預かり金20,000,00の利息を支払う。

・1月24日ーデドネ氏の貸地料金4,000,00レアイス入金される。

・1月27日ーモジアナ・ミネイロ砂取り業者2,055,70レアイス入金される。

・  同  ーリカルド弁護士と元警察官2名を交えて財務委員会。

・2月1日ー文協 監査。


第12回定例役員会 2023.2.4


水道・機械委員会経過報告並び協議事項


・深井戸6号モーターポンプが焼け、修理にエバラへ持って行く。修理代2,778,55レアイス。

・エバラのロベルト技師に現場を検査してもらう。その結果、新しいパイネル14,622,00を勧められ、これは電圧の予防も出来る。

・水道利用料金が減少。入金の半分が電気代。

・グレイーダーの使用することが無いので、売却予定。売却は以前承認を取ってあるので再確認とする。


財務委員会


・アパレシード・アゼヴェド氏の使用していた所の牛出し。降雨が落ち着き、地面が硬くなった時行う予定。牛の持ち主を探す。その後、牛が戻らない様に2ヶ月間程管理する。この対策に元警察官に契約書を作成、

15,000,00レアイスの代金で、契約時に30%牛を出してから2ヶ月間で残りを支払う。毎週その経過報告をする。

・デドネ氏の貸地契約書には不備の点があるので、作り直す。



文協所有地について


A、1ー以前売却したRsv36号(カチインゲイラ)418,04haは地券の移転が1998年と2000年であるが、CCIRへのその面積の削除が必要、その業務をエリザ・グァタパラ会計事務所に依頼する。


2ー近藤四郎氏に売却したRsv36号の一部(鉄道以北)43,20ha、僅かな書類が不足し、地券の移転に至らず、移転後はCCIRへその面積の削除が必要。


B、Rsv26号モンブカ湖で幹線道路の西側34,45ha。

1ー3,91haは1998年に下水処理場の為に、市役所に強制接収される。しかし、この農地は1992年以来CCIRとITRの申告がされてなく、これもグァタパラの会計事務所へ依頼調整後、市役所へ提出予定。これにより下水処理場の面積を削除し、CCIRの面積を変更。


上原康司氏の協力を得て、その下水処理場の3,91haを測量する。強制接収の記載には、斉藤五郎氏農地下側までとあり、この付近にはエウヴィオ氏に貸地しているので調査の必要があった。また以前、ユーカリ植林地の農地も長方形ではなく、やや歪んだ長方形である。現在この農地をベンジッテ氏へ貸地。


C,モンブカ湖を挟んで左右の農地と市街地。

1ー以前の面積は149,519,87平方メートル、現在は124,002,27平方メートル。緑地の25,817,.60平方メートルを差し引く。しかし、文協移転記載の緑地面積は25,817,60平方メートルであるが、市役所記載の緑地は35,817,60平方メートルとあり、登記所と相談してその記載面積を35,817,60平方メートルにする。その変更した書類をグァタパラ会計事務所へ持ち込み、面積が少なくなったので、ここもCCIRとITRの変更をさせる。


市街地


1ー文協では19区画を売却した。これには文協事務所、野球場も含む。しかし1983年から、市街地に成った現在でもITRを支払い続けている。この件もグァタパラ会計事務所へ却下の依頼をする。


2ー植田修光氏農地の下側の湿地帯4,600平方メートルが、文協所有の図面では緑地と記載されるが、市街地区画とされ1997年から市街地税を支払っている。今年のここの市街地税は1,150,00レアイスである。これを解決には売却か市役所に寄贈。売却の場合は臨時総会を必要、寄贈の場合は市議会決議を必要とする。市街地造成には、その面積の20%の緑地を必要とするが、殆ど守られていないと言われる。


D、Rsv35号2,90ha(石取り場)一、現在でもそのままに成っている。


備考:ITRやCCIR等が未納の場合、近年過去5ヶ年分遡って支払う必要がある。

E,移住地内の墓地

1ー墓地に関して古い書類を模索して、登記所へ持参して登録を取ろうとすると、登記所では証明書を発給してくれた。証明書では1967年にジャミックが100x100=10,000平方メートルをリベロン市役所に寄贈。しかし証明書では位置、近隣、道路等が不記載である。文協が所有する地図では前側が109m、奥行き95mとある。

現場を測ってみると前側114m奥行き100mであった。ポ語で記載された古い書類と証明書で、この誤差やリベロン市役所からの未移転をグァタパラ市役所職員のジョバニ氏が点検中。


F,遅納の市街地税

1ー文協は市街地ロッテを売却したが、約十件程が市街地税が未納の為、昨年は文協に市役所の打診があったが、以後その問い合わせは無い。

その他

・誠グループが創立二十周年を迎えるので、ハッピの更新をしたい。見積もり書を出す様。


次年度役員

各区の総務委員、A区鈴木 清彦、BC区上田 洋希、D区渡辺 光芳、E区脇山 謙助


推薦委員A区鈴木清彦、BC区上田洋希、D区渡辺光芳、E区脇山謙助、財務より林 良雄


選挙管理委員会

A区山口勝人、BC区高木雅治、D区高木ウイルソン、E区海老沢光次郎、財務より小林加弘


文協2022年度定期総会


 グァタパラ農事文化体育協会では、去る2月25日土曜日に第2召集の午後2時10分に2022年度定期総会を、高木正人副会長が開会を宣言した。この時点での出席者は本人31名委任状26名。

 最初に、議長選出を執行部から提案があり、議長に上原康司、小林加弘の両氏が任命された。議長が書記と議事録署名人を任命し、書記に林良雄(日語)、海老沢光次郎(ポ語)両氏、議事録署名人は佐々木俊秀、山口勝人、池津純一の3氏。

 上原議長で議事に入り、第一号議案、2022年度事業報告並びに決算書承認に関する件は、茂木常男会長の挨拶から始まり、事業報告の資料朗読を高木正人副会長が行い、決算書を斉藤長一会計が行う。また、吉永隆文水道・機械委員長は収支決算書の資料朗読をされた。質疑の前に代表監事の清水勇氏より監査報告がされた。

 質疑に財務委員会の事業報告中、第8番目の「以前ユーカリを植えていた土地、ユーカリの根っこを掘り起こしていて途中で放棄されていたが」」これを中断されていたがとグァタパラ新聞紙上において訂正とする。

原案通り、ほぼ全員で可決する。


第一号議案に質疑が多く、時間が掛かりこの後休憩。

第二号議案、剰余金処分(案)に関する件は、次年度繰越金とする。

第三号議案、2023年度事業計画並びに予算(案)承認に関する件を、上原議長が続けて行ない、斉藤会計が資料朗読で上程する。

・運動場のアランブラード。

・太陽光パネルの設置を即急に行うので、場合によっては中央公民館の屋根の改修や天井の改修もある。

・モンブカ湖畔公園の管理予算と空調等で、資金が大幅に必要とする場合には臨時総会を開く。

・各区に対して助成金を出す。

・入植祭、運動会の催しの予算を50,000,00とし、不足分があるようであれば特別寄付を仰ぐかは次期役員会に一任する。

・カラオケ愛好会の名称を続けて残して置く。

・子弟学生の助成を今後考える。

・水道料金は太陽光パネルが稼動するまでは、原案通りの料金とする。

第三号議案は大半の賛成で可決する。

第四号議案、その他の件では質問が続出であったが、決議までに至らず。ただ三役と監事は、二等親までは出来ないと再確認する。

これを持って議事修了。


現在の正会員89家族、準会員67家族、合計156家族。

午後8時15分時点で本人出席38人、委任状32人。

役員並び監事改選では、高木雅治選挙管理委員長が選挙立会人に池津純一、近藤雄大、松田信義の3氏を任命。

推薦委員会(渡辺光芳委員長)の推薦状を読み上げた。(敬称略)


会長   高木 ウイルソン

副会長  海老沢 光次郎

会計   斉藤 長一

財務委員 上原 康司、佐伯 ジルソン、白水 伸祀、吉岡 美津子、大野 卓治、池津 純一

水道・機械委員会 吉永 隆文、田中 信行、茂木 庄次、寺内 勝彦、上村 丈吾

監事選挙の結果

清水 勇44、藤山 実37、山口 勝人36、林 良雄26、佐々木 俊秀22、新田 孝二20、脇山 謙助5、

脇山 俊吾3、新田 築3、高木 正人3、茂木 常男2、多田 博2、竹中 順市2、高木 雅治2、真名子 和博1、

小林 加弘1.

正監事 清水 勇、藤山 実、山口 勝人

補充監事 林 良雄、新田 孝二、脇山 俊吾

現会長の挨拶と推薦者代表の高木ウイルソン氏が挨拶後、拍手を持って声援する。


長寿会の総会

 コロナ禍で長い間活動が途絶えていた長寿会も、昨年は会長代行のまま活動を始めていたが、去る、2月4日に総会を開き、新しい役員が決る。会長・田中万吉、副会長・近藤四郎、会計・大野泰治の3氏、監事・馬庭得夫、多田博の両氏。


日語生徒作文

僕の夏休み

           佐伯 檀


 12月23日にはグァタパラ紅白歌合戦がありました。僕はドラゴン・ボール・スーパーのオーブニング曲、「限界トッパー・サバイバー」を歌いました。紅白の前に何回か練習しましたが、少しタイミングが外れてしまいました。でもだれも気づかなかったと思います。姉は「世界に一つだけの花」を歌って、母は「真夏の夜の夢」を歌いました。結果な紅組が優勝しました。紅白が終わってからパネトーネをもらったので嬉しかったです。


 12月24日はクリスマス・イブでした。僕はサンタさんに何をたのむかなやんでいました。いっぱい考えたあとマイクラのグッズに決めました。次の日、起きた時、デーブルの上にプレゼントがありました。中身はマイクラのレゴでした。とても嬉しかったです。朝食はパネトーネを食べました。午前中はレゴを組み立てました。でも全部で4箱あったので終わりませんでした。昼食はいつもより少しごうかな食べ物でした。午後は家をかしている人のまごと自転車で遊びました。夜はアニメを見ました。とても楽しい一日でした。


 12月31日の大みそかは年こしを祝うパーティが行われました。母はパステルと春さめを作って持って行きました。おなかいっぱい食べたあと僕は友達とけいさつとどろぼうのおにごっこで遊びました。それからせんこう花火をやりました。2023年にかわるしゅんかんに僕と姉はジャンプをしました。それは年がかわる時に僕達は宇宙にいって、地球にはいなかったと言う意味です。それからみんなに「新年あけましておめでとうございます。」とあいさつをしました。次の日は成人式に行きました。6名の人達が成人していました。そのあと家族ですわってサウガジンニョを食べたり、ジュースを飲みました。


 1月18日は僕の誕生日ですが、その日は近くのスーパーで魚を売っていないのでパーティーは金曜日にすることになりました。その日の朝は手伝いをしました。昼食には母がオムライスを作ってくれました。ひさしぶりに食べたのでとてもおいしかったです。午後はゲームをしました。金曜日がすごく待ち遠しかったです。


 1月20日は僕の誕生日パーティーの日でした。朝から母はケーキを作ってくれました。昼はふつうの食事でした。午後はゲームをやりました。夕食は手巻きでした。すごくおいしかったのでおなかいっぱい食べました。食べ終わったあと家族のみんなが「パッピバースデートゥーユー」を歌ってくれました。そのあと願い事をしてケーキを切りました。それからみんなからプレゼントをもらいました。祖父からはお金、父からはサッカー日本代表のTシャツ、母からは電気スタンド、そして姉からはコアラのマーチをもらいました。どれもとても嬉しかったです。手巻きを食べすぎたのでケーキは少ししか食べられませんでした。そのあとみんなでビンゴをやりました。僕は2回あたりました。この日はとても楽しかったです。


埋草・続・同窓の回想録


挨拶


 長い間頭を下げる挨拶の習慣でしたが、渡伯後お互いに右手を差し出して握手する挨拶に改まった。移住地内の挨拶には目上の方には頭を下げる挨拶、友達には目礼でする目顔の挨拶、そして先生方には声を出す挨拶と一般ブラジル人には手を差し出す挨拶を戸惑いなくしました。


 丁度中学一年生の冬休み明けの時、同級生が家族と共に学校に来た。一時学校内を案内して別れる際、母親、姉妹と交わすハグを何のきなしに見ておりましたら、母親にするハグと姉妹にするハグに小さな違いをみつけ、同級の友に問い掛ける。母親に行った別れのハグは母が息子をハグしてお互い左右の頬に、正しくは右から左に変わり母親の頬に接吻、母親は息子の額に接吻。この事を学友に話したら、町に共に出掛けた折、同じ光景に出合った。その時最初は初老の婦人同士、お互い左右頬を付け合う挨拶の仕方、ただその時も少し違いがありました。友人の母親がした挨拶は本当に頬をつけていたが、今度の場合は顎に近い部分でした。友人曰く、あれは義理の挨拶だけで有ると言う。午後の夕暮れ学校への帰り道、やはり同じ公園内で今度は若いカップルがハグで挨拶、ここでの違いは、お互い同士唇に触れた事。ここでも友人に説明を求める、唇は親でも殆どしなく親愛なる人だけとか、では破綻した恋人同士の場合は義理で唇にもするが、その時などは左手の中指と人差し指を交差させて十字を作り、キリスト様解放して下さい(この解放は友人の言った事であり真実かどうかはわかりません)。これって面徒腹背とでも言うのだろうか。この同級生、エメラルド色の瞳は絶えず冗談を探して、私はいつもハメられていました。そんな友人に日本文化の挨拶法を私はクレチャー。その後学校で男同士で成人の場合は握手、ハグ、そして左手でお互い右肩の辺りを叩き背中を摩りあう何と奥の深いものと、またその上近親感が養われると感じました。


 この習慣の内、右手を差し出しての握手は抵抗なく出来ました。それを日本研修先で出してしまい男性の場合未だしもよかったのですが、女性の場合、特にお互いに意識している場合頬を染められ、はたまた困ってその手をもって行く場所がなかった。そんな時友人の親御さん(母親)に日本式の挨拶、特に畳の上でのマナー、挨拶を教えて戴いた。また挨拶を強要したら、それは脅かしであり挨拶から掛け離れてしまう。そのほかに対話時の目線の位置、男の場合口元から顎のあたりと教えられ、縁があって1998年のふるさと交流時に皇太子御夫妻とのご接見の時、御夫妻からすすんで握手を求められ、目線は失礼と思い口元に当てていましたら、微笑をたたえた眼差、やさしさがにじみ含むかのよう口元に浮かべられて居られ、その眼差しは目元に当てておりましたので、私も失礼にならない程度にその目元にあてました。接見者21名の持ち時間15分、その内3分近くもお話が出来、後で団員に何をあんなに話が出来たんだと問われ、その中には当然興味ある話題も大切ですが、以前のマナーも役立ったと私なりに理解するものでした。(ご接見には3〜4点タブーとなる行為の注意がありました)1、団員から先に握手の挨拶はひかえること、2、御世継ぎの件、3、話を遮ぎらないこと、4、口に食べ物、飲み物を含んだ時は飲み下してから話し始めることなどの幾つかでした。


 赤坂・東宮御所でのご接見。


 数名の団員にお言葉を交わした後、皇太子殿下から最初のお言葉は「ブラジルはどちらですか?」と尋ねられ、「サンパウロ州で日本移民ゆかりの地のグァタパラ移住地です」そう話すと、興味が引ける話題だったのか会話能力なのか、また双方相俟ってか、半身ほど半歩前に歩み寄られ「大変ご苦労されたんでしょう」と労いのお言葉を掛けて戴きました、「私は戦後移住ですのでそれほどではありませんが、戦前の人々は大変そのものでした。特に婦人の方々は夫を助けながら共に働き、不慣れな食材で食事を作られることは貧弱で、高温の暑さの中で苛酷の労働に従事するので病気は日常のことであり、生活のすぐ隣にありそれは並大抵でない話を伺って居ります。」殿下から「私もブラジルを訪問して居りますので理解して居ります」と言われたので、「10年後にはブラジル日本移民100周年を迎えますので、是非殿下ご夫妻で訪伯をお願い致します」と求めましたら、「よく相談したうえで」とのお言葉でした。皇太子殿下と雅子妃殿下はお互いに少しはなれながら団員にお言葉を掛けられ、私の所では皇太子殿下のお話を引き継ぐように阿吽の呼吸で雅子妃殿下から先の移民婦人の話にふれられ、私は「異国で言葉の通じないなか、仕事後の食事の準備、育児、繕い仕事などを手掛けて男性よりも女性の負担は多大でしたし、その上なれない気候では多くの婦人たちが尊い命を犠牲にされています。」そうこうする頃、係りから時間を知らされましたが、話に区切りをつけてから団員一同でお礼につきました。接見した団員中に日本語を堪能に話せたのが5名ほど居り、団長、副団長、会計、世話人の各氏と私でした。そして粗相のない会話を例に出してまで求められたので、他の人々は殆どが挨拶程度の会話であり、私は余るほどに時間を戴けて充分に対話をする事が出来ました。また、接見者中には医師も居り、日本へフライト中機内で乗客から急患が発生し往診された医師であり、乗客中ではカッコ内の特別な人でした。その団員の持前の医者の目から「林、随分長く話していたが?プリンセザ(妃殿下)の顔の吹出物に気が付いたか?」とそっと耳打ちされる。たしかに妃殿下のお顔に3つほどほんの小さな吹出物があったのを、目敏い団員は大変なストレスと言われるので「わかるんですか」と伺うと「あれはストレスからきているもの」と気遣っていましたが、このように細微に見られているかと思うにつけ心が痛みます。


俳句 グァタパラ俳句会

朝日うけ見に行く菜園路涼し  高木 美代子


木漏れ日の苔むす古道苔の花    〃


路涼し足を速めてウオーキング 菅原  治美


苔花や出稼ぎの母戻る頃      〃


街路樹の大木となり若葉萌ゆ  田中  独行

渡伯せし歳月あらわ苔の花     〃


路涼し今日一日の無事祈る   林  みどり


ハンモックゆらゆら揺れて夢心地  〃


祖母の背に孫の笑顔や風車   脇山 クララ

野良仕事かぶるぼうしに薄暑かな  〃


子を肩に乗せてかかげる風車  近藤 佐代子


球響く蝉鳴く村の野球場      〃


老猫と育ちし孫や風車     富岡  絹子


美少女は真赤が似合うアマリリス  〃


気まぐれな風に気まぐれ風車  脇山 千寿子


叱られて孫の逃げ場所ハンモック  〃


 【編集後記】

 友人が池に百数十匹のチラピア(草魚)を放し、更に160kg程のパクを放すと、池の容積を越す内容になり、その上ピラセーマ(産卵期)に入りチラピアの幼魚まで水面に現れる。そんな頃、魚が酸欠に至る知らせを受けて、事故以来十数年振りの魚釣りを楽しむ。パクのあたりは強く、充分魚釣りの醍醐味を堪能させて戴いた。


 2月初旬に、早成りの甘柿の初物に堪能。初物は寿命を伸ばしてくれると言う。市売品の出回る前だが、充分な大きさの上甘味も満足な物だった。

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