今年最後のグァタパラ新聞が届きました。今回の写真は54年振りの同窓会で、林さん曰く「自己紹介が無ければ、誰一人として分かりませんでした。」とのことです。笑
54年ぶりの同窓会(前列一番左が林良雄さん)
文協第八回定例役員会 2023.11.11
協議事項
一、10月の経過報告。
一、運動場敷地内トイレ設置に関して、テキノス社の宣伝広告を兼ねる資金協力の提案。
一、市街地売買に関して、分割払いの提案。
一、モンブカ湖清掃が認可され、これをサンパウロ州政府の予算で市役所が実施する。
一、公民館内で、文協所有の車椅子使用が許可される。
一、12月16日忘年会。
一、新年会での成人該当者の確認。
一、誠グループ結成20周年記念を11月26日に催す。
一、誠グループ、日本語学校の会計報告。
一、ジェオヘフェレンシアメント経費の見積り調査。
一、エアコン設置計画案。
一、農業者に農道保全協力の通知。
お盆の供養ミサ
11月2日は死者の日にあたり、文協ではホドリゴ神父による供養ミサを、午前9時に墓地内拓魂碑前で執り行う。
盆踊り大会
去る11月4日、午後7時より文協会館内で父兄会による盆踊りが催された。また、父兄によるうどん、焼ソバ、焼トリ、のり巻き、ポテトフライ、パステル等の売店が用意された。
本邦研修決る
日本語生徒の佐伯博幸氏長男、檀君12歳が2023年日系社会次世代育成研修生として本邦研修に決定する。おめでとうございます。
第七回自由市場開催
11月12日、暑い日差しの一日であった。午後になるとアイスクリーム、カキ氷を求める客が増え、冷たい物で喉を潤す人があちらこちらで目立つ一日。今月は数十年振りの帰郷と言うか、両親、親戚への墓参後の人の姿を見掛ける。
出店は11店であり、16人が参加される。50テーブルが用意された。初出品はフルーツサラダ、ヒジキご飯、アゲが販売された。7回目ともなると馴染みの品物も多くなり、味も同じ様な品物でも各店の味もわかる様になった。
今回も、各店の品々を重複しながら記す。
手芸のタペッテ、鍋敷、ラン六鉢、信玄袋、小物入れ、携帯入れ、フキン、ススピーロ、パリャ・イタリアーナ、地鶏卵、鶏卵・白、赤、ミソ(かつおだし入り)、ジャム(桑の実、イチゴ味)、フルーツサラダ、ニンニク粒、黒ニンニク、同丸パスター、潰しニンニク、シュウークリム、アンパン、弁当、キュウリの粕漬、キュウリ漬、サルサ、ナス、キュウリ、ニラ、ゴーヤ、ピーマン、和風生地の手さげ、信玄袋、イボ無しゴーヤ、肉マン、のり巻きの輪切り、焼饅頭、蒸し饅頭、ツマミ饅頭、紋形饅頭、鯛焼き、カリントウ、蜂蜜、カリントウ(生姜、ショ油味)、味付けシメジ、生シメジ、オニギリ、カレーライス、酢レンコン、タクワン、蒸し饅頭、甘ナットウ(ダイナゴン、白)、マンジョッカ・シュッピス、焼ソバ、刺身、寿司の詰合せ、ミソ、ピックルス(ピーマン)、冷し中華、蒸し饅頭、焼饅頭、焼ソバ、ギョウザ、弁当二種類(丸型・ハート型おにぎり、酢ハルサメ、ミニトマト、アルファッセ、もう一つ・焼豚スライス、花型おにぎり、卵焼き)、コロッケ、ヒジキご飯、ゴーヤ、カリントウ、オカキ、蒸し饅頭(黒砂糖味)、焼饅頭、あげ、肉マン、モチ、ギョウザ、梅干、福神漬、カキ氷、焼トリ、飲み物、ビール、水、綿アメ、スライス・パネトーネ、、カロリーナ(マラクジャ、レモン、苺、ドッセ・デ・レイテ、チョコレーロ味等)チョコ、ガム、ポーキイ、、コッシニャ、ポン・デ・ケイジョ、約九十品目販売品であった。加熱を必要とする食品店では、ガスレンジが4ヶ所、電源3ヶ所、ATM決算機が2ヶ所、PIX2ヶ所。客足も大体定着し、ほぼ同じ客層の到来である。
第十三回サン・カルロス日本祭りに参加
サン・カルロスの日本祭りは、16年前大学の学生と日本人会の合同で始まって、最初の第一回目からグァタパラも参加してきました。パンデミアで3年間中止されておられましたが、11月4日サン・カルロス市創立166周年記念に合せていろんなイベントが企画された中、(11日)市の主催で第13回日本祭が2日間の日程で開催、グァタパラも招待され、誠グループ21名、婦人会踊りグループ13名、カラオケ愛好会5名が参加。
着物姿のルシアーネ・佐藤さんの名司会で、初日目のプログラムは午後3時から剣道のデモストレーション、4時にグァタパラ(最初に婦人会の踊り、太鼓、カラオケを挟み、よさこいソーラン、婦人会の盆踊りバージョン、ダンシングヒーローが組まれていた).休憩後5時半に合気道、6時半にグルポ(Todos Nós)このグループはグァタパラ入植祭にも来ていただいた、皆さんご存知の水谷ペドロご夫妻と岡本明美さんが立ち上げ、今ではサンパウロ州辺から友達を集め、大きな演芸集団になりサンバやセルタネージョを取り入れ活動されています。グァタパラの誠グループも常に先輩が後輩の指導に当たり、受け継いで素晴らしい演出を披露し続けています。
2日目のプログラムの中に、コスプレ(COSPLAY)のコンクールが載っていた。現代はやりの漫画やアニメのキャラクターに扮装して楽しむのが、特に若い方たちの中で流行になって来ています。今年の入植祭で井上麻椰さんの長女愛子ちゃんが扮装されていました。
私事ですが、この日披露された剣道師範山本八士郎(やしろう)さんとお話し出来て、グァタパラの小林敏子さんを知っておられ、敏子さんの旧姓でイッツー在住の尾崎さんご家族と親交があったと伺ったので、敏子さんの妹、ヒロミさんとサンパウロに住む私の従兄が結婚していると話した。又、サン・カルロスのカラオケの友達から日本人会の会長・栗森良子さんを紹介され、私は新田ですと言ったら、私のおばあちゃんは島根県の新田だと言われ、びっくりして住所をお聞きしたら、母から島根だと教えられていたが、名前も町も分らないとの事、親戚ではないが、世の中偶然の出会いはどの方にもあると思います。今思うと、始めから誰かに導かれていたような気がする。
演芸担当の吉岡美津子さん、父兄会の佐伯博幸さんご苦労様でした。
この出会いに巡り合えたことに感謝いたします。 文責・新田 孝二。
五十年後の同窓会
去る11月11日、ジャボチカバール農学校時代の級友から知らせがあり、50年後の同窓会開催の知らせを受けた。70~72年度の卒業生が一同に会し、68人の同窓生が名を連ねたが、その内15人の所在地不明であった。
ジャボチカバール市内の教会でミサを執り行い、さらに学校敷地の監査室で、獣医科卒業の後輩でウネスピ大学に勤務する人から、現状説明をうける。
農学校は以前484haの面積を所有していたが、農業高校として現在23haの農地内にあり、私達(編集者)の頃使用していた校舎とは別棟にあり、150~160人が全校生で男女半々の割合。寄宿舎はコロナ禍の為休止されて居り、午前中が実習で午後から授業となる。昼食は校内食堂で無料、夕食は外部で食べている。現在女性のヘジーナ校長。
新旧交流を温め、最高学府中獣医科がの卒業生が最も多く、他に建築科、歯科、医科、電気工学科等も居る。そんな中でもメタボ体型の人が多く、髭、あごひげ、ほおひげ等全部たててる人も居った。
昼食を郊外のファーム・ホテルに場替えし、植樹、記念ネーム・プレートの設置。朝のミサ前まで居たマサヨシ氏が誰かわからず、参加者名簿がワッツアップで掲載されると、ジャボチカバール在住の浮津まさよし氏であることが判明。地元の彼が記念植樹の活着するまで管理を引き受けた。そしてもう一人、15人中で所在地不明の五十嵐直吉氏の事を数人の同窓生に繰返し質問された。1985年5月7日、グァタパラコチア産組の新事業所落成式の際、ドラードス倉庫役員とコチア産組の農業技師、ドラードス方面担当として五十嵐直吉氏が出席され、これ以来の交流のない事を質問される同窓生に伝えた。また、農業技師から微生物学者(Microbiologista)ヤマカワプログラムの創立者山川良一氏について履歴を調べてほしいと依頼されたが、グーグルで検索しても担子菌研究者等しかわからず、この方は今一である。
参加者名簿には生年月日も記載されてあり、殆どが年下と思っていたものが、年上、同年も何名も居ることが今回分った。しかし、50年の歳月は長く、級友であったゾカール、彼と何時も連んでた級友で今回コーデネイターを務めたマンチコーリ氏も、当時は箸のように細かったのが、風に飛ばされてこまるので腹に重さを付けたと太鼓腹をさすっていた。
日系移民の資料収集
先般11月20日、ブラジル日報の深沢編集長を介して、米国スタンフォード大学フーバ研究所の上田薫博士(Ph.D)のフーバ図書館(アメリカ政府から資金協力で100年前から開館)への資料収集に訪れた。大戦前の日系新聞をアーカイプ(圧縮して保存記録)、また、満州開拓者の足跡。なぜグァタパラ移住地を訪れたかは、この満州開拓者が母国へ引揚げ後、多くの人々が再移住しているのがグァタパラ移住地と深沢編集長から紹介されたと言われ、その他多くの移植民史が上梓されているものの婦人を対象にされたものが少なく、これを纏めるインタビューも録音許可を書面にサインを取り付けてから始めすすめられた。
2008年までに編纂し、コロニア文学特別賞受賞の「開拓」にはグァタパラ入植者の詳細も記載してあるため、是非ともとして求められ、さらに近藤安雄日誌もデジタル化してあるので共に求められた。開拓がA4版で270ページ、近藤安雄日誌が200ページ程のCD資料である。
11月のこの時期、毎年アメリカは一週間程の連休があり、これを利用して数回サンパウロ文協の移民史料館を訪れ、館長の山下リジア氏の協力を仰いでると感謝されていた。
昼食を挟んで、5時間半の僅かな時間であったが、大変有意義な話が出来たと喜ばれる。
十二支(干支(えと))
会員からのリクエストで十二支を記載。十二支の干支祝をすると、なぜ家族の参加でないのかと言われたが、無論その時の取り決めで執り行うものだが、十二支は該当する各自の干支であるので、一般的なお祝いとは少し異なる。
十二支は子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥の十二種からなり、干支として暦や時刻、方角を表す時に用いられた。十二支の漢字は現在の各動物を表す漢字と殆ど異なる。
十二支の動物の意味。
・子(ね)は、十二支の一番目の動物ネズミのことを指す。ネズミは繁殖力が高く、つがいがそろえばあっという間に何十匹、何百匹にも繁殖する。よって子宝の象徴となることが多い動物で、ネズミ=子孫繁栄の意味が込められている。
・丑(うし)は昔から、食用と言うよりも生活のパートナー。重い荷物を運んだり畑を耕したりと生活の中に欠かせない動物。ウシは力強さの象徴であり、粘り強さ、誠実さを表すとされる。
・寅(とら)。トラは勇猛果敢な動物。また決断力や才覚といった意味も込められる。
・卯(う)。ウサギはおとなしく、穏やかなイメージがあり、このことから安全の象徴としての意味を持つ。さらにその跳躍力から飛躍、向上という意味も持ち合せている。
・辰(たつ)は龍・ドラゴンを指す。十二支中で唯一空想上の生き物。東洋では龍は生活に密接なモチーフである。中国では古代から龍は権力の象徴とされており、日本もその影響を受けている。ここから辰は権力の意味合いを持っている。
・巳(み)はヘビのこと。ヘビは脱皮を繰返して成長するため、世界で「永遠」や「生命」、また「再生」の象徴にもなっている。
・午(うま)馬を表す。ウマもウシと同様に生活に欠かせない大切なパートナーである。ウマは健康や豊作を象徴する十二支の一つである。
・未(ひつじ)、ヒツジは動物の中でも群れで生活することを好む動物。よって十二支の中でも家族安泰の象徴とされる。
・申(さる)。サルは知能が高く、神の使いであると信じられて来た。よって、サルは賢者を象徴する動物となっている。
・酉(とり)、特にニワトリのことを指す。トリは「取り込む」ことにつながる。酉の字をあてた「酉の市」という商売繁盛のためのお祭りが各地であるように、商売繁盛の象徴として扱われる。
・戌(いぬ)。イヌもウシもウマと並んで、古くから生活を共にして来た。イヌは特に主人に忠実に従うことから、忠義の象徴という意味が込められている。
・亥(いのしし)。イノシシの肉は昔から万病に効くと考えられており無病息災を象徴。また、猪突猛進という言葉があるとおり、一途で情熱的なイメージもあわせて持っている。尚、日本ではイノシシだが、中国ではイノシシではなくブタを指す。(グーグル引用)
2022年末の在留外国人数
日本の出入国在留管理庁の発表した、2022年末の在留外国人数は307万5213人(前年末比31万4578人で11,4%増加)。2022年末の在留外国人数上位10ヶ国。
一位、中国 76万1563人。
二位、ベトナム 48万9312人。
三位、韓国 41万1312人。
四位、フィルピン 29万8740人。
五位、ブラジル 20万9430人。
六位、ネパール 13万9393人。
七位、インドネシア 9万8865人。
八位、米国 6万804人。
九位、台湾 5万7294人。
十位、タイ 5万6701人。
前年末からの増加人数を見るとベトナムが5万6378人と最多。また、前年比ではインドネシアの65%増でトップ、次にネパールが43%増と続く。(ブラジル日報既報記事 2023.10.25付)
訃報
E区在住の佐々木佳希(享年71歳)氏、1962年7月19日着伯第6陣、島根県那賀郡三隅町出身。長らく自宅に於いて加療中でありましたが、11月10日クリニカ病院で永眠されました。
葬儀は11月11日午前11時よりモンブカ墓地で執り行い、別れの会は自宅に於いて10時に行われる。
ご逝去を哀心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。
会葬御礼
夫、佐々木佳希(享年71歳)儀は、去る11月10日クリニカ病院で永眠致しました。
翌日、自宅に於いてお別れの会を執り行い後、モンブカ墓地にて、告別式を行い埋葬しました。
生前、長い間懇意に賜りました村民の皆様には、御多忙中にも係わらずご会葬頂き、その上過分なる御香典、御供花、御弔辞を頂きましたことを心より感謝致し厚く御礼申し上げます。
2023年11月
喪主 佐々木 波子
親族 一同
尚、勝手ながら香典返しの儀は略させていただき、寸志をグァタパラ文協、島根県人会支部に寄付させていただきました。
俳句 グァタパラ俳句会
囀りも風も溶け込み池の端 菅原 治美
定年後日々の暮らしも長閑なり 林 みどり
雨に泣き風に笑えと花マンガ 高木美代子
うとうとと長閑な午後の留守居かな 富岡 絹子
囀りとコーヒーの香り鄙(ひな)の朝 脇山千寿子
明日にする無理をしないと老長閑 田中 独行
夕暮れにトランペットの長閑なり 脇山クララ
長閑けしや一人暮しの腹時計 近藤佐代子
〔次回兼題〕初夏、跣(はだし)、夏草、当期雑詠
【編集後記】
50年のタイトルで同窓会が催しされたが、自分にとっては1969年に別れて以来なので、実際は54年振りの再会だった。予備学級から一緒だったアチバイア出身の高柳兄弟、もう一人同級時には全然気付かなかったモコカ出身の小沢君。当時2クラスあったが、移住地出身の6人と連んでいたので気付かなかったのかもしれない。級友ゾッカルも顎鬚をのばし、パウリスタ電気会社に勤めて居り、現在会社の管理職(Administrador)。十余年前、グァタパラ駅の次の駅になるグァラニーのパウリスタ電気会社所有のユーカリ林を土地無し農民の不法侵入を調べたのも、電気会社の管理者の立場で調査に来ていたとの事。長男が日系女性と結婚し、5年程静岡県で就労したので、簡単な日本語は理解すると言う。そして、良雄の影響があったとリップサービスも忘れなかった。現在州境のパラナ川沿いに住み、釣を愛で、釣果のツクナレ(シクリード科)の大きさを話すので、両手を縛って語ったらと言うと、携帯内の写真をもってその大きさを見せてくれた。今回は学生時代によく担がれたが本当であった。
また今日、26日に同窓会から、再度五十嵐氏の消息の問い合わせと報告があった。会が大学側に問い合わせた所、大学側では卒業生の現況を把握するため、5年毎に全卒業生に現況報告を求めてるが、五十嵐氏からはここ数十年返信が無いとの報告であった。
移住地の皆さんで、五十嵐一家(姉弟等)の連絡先のご存知の方は林まで一報戴ければ幸いです。
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