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グァタパラ新聞2022年12月

ワールドカップカタール大会、いよいよベスト4が決まりましたね。日本がドイツを破った試合も興奮しましたが、ブラジル×クロアチアの試合には痺れましたーー!!!眠気なんてどこへやら時間を忘れて見入りましたよ。野村克也監督が、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言っていたけれど、次は頑張ってほしいなブラジル。


さて、そのブラジルの林良雄さんからグァタパラ新聞12月号が届きました。2ヶ月ぶりにブログを更新します。今月の写真は、まるで黄色いシャワーを浴びている様なところから名付けられたゴールデン・シャワー。和名はナンバンサイカチ。タイの国花だそうです。関西ではあまり見かけない綺麗な花ですね。


ゴールデン・シャワー


文協の主な経過報告


・10月3日ーモジアナ・ミネイロ砂取り業者、1,456,00レアイス入金される。

・10月5日ー財務委員会。

・10月7日ー日語誠グループ、ジャボチカバールに招待される。

・10月8日ー財務委員会、アイルトン市長代理と話し合い。

・10月9日ー婦人会主催の第54回敬老会。

・10月12日ー在伯茨城県人会60周年、文協代表として斉藤長一会計が出席する。

・10月14日ー財務委員会。

・10月15、16日ー野球部で子供の日を祝う。

・10月19日ー茂木庄一氏の貸地料7,272,00レアイス入金される。

・10月22日ー総務、財務委員会でアイルトン市長代理、ベンジッチ氏等と順を追って話し合いをする。

・10月24日ーモジアナ・ミネイロ砂取り業者3,150,00レアイス入金される。

・10月25日ーポルト・セードロ(デドネ)3,200,00レアイス入金される。

・  同 ーカマール砂取り業者958,00レアイス入金される。

・10月26日ー総務、財務委員会(ヒカルド弁護士出席)。

・10月26、27日ー婦人会の慰安旅行でリンスへ。

・10月27日ーモジアナ・ミネイロ砂取り業者4,794,00入金される。

・  同 ー体育館の電球を交換する。

・10月28、29日ー日語誠グループ、リベロン・プレットに招待される。

・11月2日ーお盆の供養(カトリック信徒会)。



第9回定例役員会 2022.11.4


【協議事項】


協議するが後日、11月25日の役員会決定事項。


1. 水道委員会では青色プラスチック管を売却する。1,5インチ16本、1本15レアイス、2,5インチ

  80本、1本20レアイス。

  第5、6号深井戸にカルキ投入処置器具取り付けを完了する。

  付記:去る11月9日正午、2号深井戸で3人組が井戸の配線をロープを掛けて盗みを働いている最中、水

  道委員の駆け付けで未然に防げた。

2. 体育館の床面の塗装を塗り替えることに決定。

3. 落合氏宅地横約6ヘクタールをベンジッチ氏へ貸すことにする。最初の3年間は無料、4、5年目は1ヘ

  クタール一最低賃金。

4. プール周辺の床の目ずまりを修理する。

5. アランブラードの件。市役所より野球場上の住宅増設ため道路が必要だと言ってきている。市役所は交換

  にアランブラードを設置しても良いと言っているが、返答を待っています。できるだけ市役所とは争いし

  たくないです。市役所は伝家の宝刀で強制接収もできます。そのときは税金の評価額だけ支払われます。



CARの再申請


10月27日、11月10日、11月17日の3度、政府の担当者が来訪し農地の登録再申請が行われた。



歳末助け合い運動


 恒例の歳末助け合い運動を行ないますので、ご協力をお願い致します。大変ですが、12月10日まで現金、または物品を文協事務所まで届けて戴ければ幸いです。



訂正


 11月号のアントニオ猪木の渡伯年は1956年ではなく、1957年4月16日と訂正。配耕先はグァインベ郡スイッサ耕地。このグァインベは1944年11月に郡に昇格する。周辺には上塚第二植民地等があり、2010年現在郡の人口は5,425人ある。郡昇格には日本移民の貢献が高く評価されている。郡堺をジェツリオ、カフェランジァ、ジュリオ・メスキータ、マリリアとなる。



第46回グァタパラ紅白歌合戦


 コロナ禍の自粛も緩和されて来たので、野球部主催とカラオケ愛好会の協力で紅白歌合戦を、来る12月23日午後7時開催予定です。つきましては練習日を11月29日、12月1、6、8、13、15、20、22日に行ないますのでお知らせ致します。



2023年度の成人者確認


Otávio Hiroyto Abe 02.02.2002

Maria Laura Tomomi Iketsu 02.03.2002

Larissa Yumi Yamada 10.06.2002

Caio Henrique Vieira de Araujo 22.08.2002

João Eiki Kawakami 02.09.2002

Lucca Noriyuki Tanaka 31.10.2002

尚、もし漏れてる人がありましたら、文協事務所までご連絡して下さい。



前立腺ガン摘出と療養

       林 良雄 体験記


 始めに、怠惰や排泄物の名前が入り不潔と思われますが、70歳以上の男性の75%は前立腺肥大、またはガン疾患があり男性病とも言われるので、何かの参考になればと思い執筆しました。


 今年の3月、血液検査を勧められハファエオ医師で診察後、血液検査の結果において、専門医の診察を勧められた。専門医の初診には日数が掛かり、7月になってから糖尿病と知らされ薬の服用が始まり、泌尿器科では前立腺ガンの疑いあるのでヘソナンシア・MRI検査(核磁気共鳴画像法)を受け、その結果ビオピシア・デ・プロスタタ(精密な局部採取検査)を求められた。それからこの専門医を探し、呼ばれるまでに3週間。その間に4回目のコロナワクチンを接種していたが、コロナ感染をしてしまい、細胞採取日の2日前に陰性となってやっと細胞採取が出来た。その後3週間僅かに血が尿に混ざる中、31日目にしてその結果が出て、7ヶ所採取中で一~10ランク中2ヶ所がランク8、2ヶ所がランク12、3ヶ所正常と知らされ、主治医から摘出手術を勧められた。迷わず手術を求めると、それに伴うトモグラフィー(断層映像法)、頭部下からの骨へのガン移転有無検査その結果後、入院許可と手術方法には主治医として3種類あり、開腹、数ヶ所僅かに腹部に穴を開ける腹腔鏡(Laparoscopia)手術、ロボット支援下手術があると言われるが、ロボット支援下手術は未だ高価であり、45,000,00レアイス(大衆新車一台分)以上と言われたので、2番目の腹腔鏡手術ですることにするが、医師から前立腺摘出手術には、尿道括約筋や勃起に関係する神経を傷つけることがあるため、尿漏れや勃起障害といった合併症が起きる場合もあり、その事への訴訟がないように書類にサインを求められた。


*注:腹腔鏡手術。腹部に4ヶ所に5~12mmの小さな穴をあけて行う手術。手術を行う空間を作るため、腹の中に炭酸ガスを注入し、そこからスコープや器具を入れて手術を行う方法。麻酔は全身麻酔。ポート先端にはさみ、電気メス、ピンセート等が付いた長い棒状の特殊な器具(鉗子(かんし))を数本、腹の中に押入しモニターに映しだされた胃、大腸、胆嚢などの臓器は、最終的にはへその傷(開腹)3~4センチにして腹の外へ取り出す。*ウイキペジア参照。


 それからウニメジより入院許可を待つこと27日であった。医師からは有給休暇前の10月11日以前に許可を取り付けることも言われたし、コロナ感染を避ける密集予防も言われた。


 入院許可の出る前から、主治医に手術日を知らされ、その日の1週間前にやっと許可が出た。


 10月24日に手術前の最終ミーテング、夕食は軽い物で8時まで、飲水は10時までと、糖尿病への服薬は24時間前と知らされた。26日は朝5時45分までに病院に到着。身の回り品は着替えの衣類だけと言われ、他の物が紛失しても責任はもたないと言われる。


 8時少し過ぎに手術室に入ると、主治医ともう一人の協力医が居り、麻酔医にマスク型の物を鼻口に付けられ、大きく吸い込むこと3度目には意識がもうろう状態に陥る。そして午後2時半頃に意識が回復する。待機していた次女に聞くと12時前に手術は終わったと言う。回復室で続けてリンゲルの点滴に混合してビスコパン(腹部痛の軽減)、抗生物質投与、反凝血注射、酸素濃度計(オキシメーター)、足首付近に低体温なので、温めるために靴型の保温器(30秒単位で血圧計のように締めたり緩めたりする)を病室に移動するまで付けてあった。病室に移る頃には、意識も正常に戻る。病院から与えられた衣服はあわせる様な物であり、腰元が涼しいと感じると除毛されていた。


 尿道を通って膀胱に2mmのソンダ・ヴェシカル(尿・カテーテル)が付けてあり、排尿の問題はなかった。尿カテーテル留置とは、チューブ先端にバルーンという小さな風船を膀胱内で膨らませ、チューブが自然に抜けないように固定し、挿入したままの状態にする。


 夜、主治医の巡回診察で、最初にガスの有無に3度あったと知らせる。医師から手術内容を知らされ、出血も少なくきれいに摘出出来たと知らされた上、明朝シャワー後廊下をリハビリ師と共に歩き、普通の歩きであれば退院。主治医の見ている所でリハビリ師と歩くと退院のOKと九日後にソンダ(尿・カテーテル)を取り外すので診察を知らされる。


 一夜の入院ではあるが、70歳以上なので付き添いを頼むことが出来るが、2時間おきに看護士の巡回があり投薬、尿バックの尿流しも全て看護士が行ってくれた。退院時に10日間抗生物質の服用、ビスコパン4日間、反凝血注射六日間と手術口への塗り薬。塗り薬は2日まではガーゼで覆うが、3日目から塗布だけの方が傷口に良いと言われる。


 退院後、シャワーを浴びる時に、シャワー用の車イスを使い、コンパクト・キャリー・カート(トランク等を運ぶ小さな台車)の取手に尿バックを掛け、トイレ時、睡眠時にもこのキャリー・カートを使用した。


 手術痕の関係であまり力むことが出来ない為と、手術後はとかく便秘になりがちあり、飲下剤としてレイテ・デ・マギネシアを勧められたが、食欲も少ないものの4日目の便秘では、とてもこの下剤では解決出来ず、bisnaga laxante(チューブ型下剤液)を直腸へ注入で便秘を処理した。便秘の事は近藤氏からもアドバイスされていたが、手術痕が痛いため大変厄介である。


 4日目から痛みもあるが、動きが楽になったのでソンダを外すまで、排尿量を記録すると5日間で1,400ml~1,700mlでカテーテルの一日排尿量平均1,600mlで夜間が約600ml、この量が自力で放尿出来なければオムツ使用を続けなければならない。また飲水量によって僅かであるが差がみられる。


 手術後9日目にカテーテルを外すと、膀胱からの尿道括約筋の回復まで、紙オムツでの処理となる。この時、尿が外に出るのを感じるかとの問に2度あったことを知らせ、これは尿道の活用の確認であった。


 尿道括約筋の復活には、肛門括約筋(骨盤低筋)を鍛える。尿道、肛門をぎゅと締めて3秒ほど静止し、その後ゆっくり緩める。これを20~30回繰返す。オムツ交換後、寝た姿勢で肩幅ほど足を広げ、手足腹に力を入れずにすること。立ったままで足を肩幅ほど広げ、またテーブルに両手を付いてもよく、ただ手足腹に力を入れずにすること。正しく鍛えるには尿道、肛門をぎゅっと締めると、性器が少し引き締まる様な感じと言う。一日朝、昼、夜に行うように医師に指導されたので、その3倍努力している。この尿漏れが前立腺摘出と併せるくらいの難問である。


 紙オムツ処理で、一日に1,600miであるから、自力で放尿出来なければ、3、4回のオムツ交換になってしまう。紙オムツの準備の為、日を追って記して見たい。


 手術後10日目、夜間自力で放尿30mlオムツ交換4回。この日から卵選別。くしゃみ位の微動でも、下腹に力が入ると殆ど尿漏れ。


11日目 夜間自力で放尿50ml、オムツ交換3回。

12日目 同 70ml、オムツ交換3回。

13日目 同2回で90ml、同交換3回。

14日目 同2回で90ml、同交換5回、

     血液検査と尿検査の為外出する。

15日目 同2回で140ml、同交換4回。

16日目 同2回で140ml、同交換4回。

17日目 同2回で170ml、同交換4回。

18日目 同2回で170ml、同交換4回。

19日目 同2回で230ml、昼間2回で50ml、同交換3回。

20日目 同2回で300ml、昼間2回で70ml、同交換3回。

21日目 同2回で300ml、昼間3回で70ml、同交換3回。

22日目 同2回で450ml、昼間無し。

     外出すること3回、昨夜からあせもでオムツを付けた上にパンツの併用を止めると、尿道への刺激

     も少なくなったのか、尿漏れの量が改善された。

23日目 同2回で450ml、昼間4回で100ml、同交換3回。

     この日からパンツ式オムツを使用、夜間は従来品。

24日目 同2回で450ml、昼間2回で50ml、同交換3回。

25日目 同2回で450ml、昼間3回で50ml、同交換3回。

26日目 同2回で500ml、昼間2回で20ml、同交換3回。

27日目 同2回で500ml、昼間3回で50ml、同交換3回。

28日目 同2回で500ml、昼間4回で80ml、同交換3回。

     あまり改善がみられず、水の摂取量をコントロール。

29日目 同2回で500ml、昼間4回で100ml、同交換3回。朝排便があると、肛門括約筋強化になり、卵

     選別で腹筋使用するまでの九時半まで排尿がコントロール出来、その間の自力排尿量が増えた。

30日目 同2回で500ml、昼間4回で100ml、同交換3回。

31日目 同2回で550ml、昼間4回で170ml、同交換3回。

32日目 同2回で300ml、昼間3回で230ml、同交換2回。

     昨日、1ヶ月振りに新聞作りでコンピューターの前に座り、夕食を間に入れ午後10時までの5時

     間程続けると疲労が表れ、翌朝までの放尿は半分に減少、オムツへの漏れは数日間と同じ位であっ

     た。これはコンピューター作業を続けていた間、オムツに漏れてしまう。

33日目 同2回で450ml、昼間4回で250ml、同交換2回、パット一ヶ。昨夜から、夜の尿漏れが100ml

     少しとなっているので紙オムツの中にパット(生理用ナプキン)使用をしてみた。オムツに漏れる

     事が少なく、夜間はパット使用で処理でき、後はパット交換だけで以後これにする。昼間もオムツ

     の中にパットを入れたが、まだパットだけでは充分に処理が出来ない。


この記事で、不愉快を感じられた人にはお詫び致します。

*前立腺ガン摘出した、近藤氏の77日間の尿漏れコントロールも参照。



訃報


 去る11月19日、モジ市在住であった宮崎正弘氏(享年86歳)長野県長野市出身、第32陣が永眠されました。宮崎徳忠氏の兄にあたり、勝代夫人の出身は、茨城県鹿島郡鹿島町で茨城県人会員であり、コロナ禍の前年にグァタパラ茨城県人会の交流の際、モジ支部会員等と共に来訪して居ります。

故人のご冥福をお祈り致します。



俳句 グァタパラ俳句会


新入生はじける笑顔春の風   脇山 クララ


花と書の展示会場春の風    近藤 佐代子


土を愛で土の暮しや大根の花  高木 美代子


補聴器にやさしく過ぎる春の風 富岡  絹子


春風のような微笑み女王逝く  脇山 千寿子


自分事満喫せよと春の風    菅原  治美


感染症ぼうふら退治を行って  林  みどり


〔次回兼題〕マモン、日盛り、アマリリス、当季雑詠。



【編集後記】

 

 人生に於いて、メスを使用した手術は初めてである。腹腔鏡(ふくこうきょう)手術は、身体に掛かる負担は軽量、翌日には退院した。手術後の療養を併せ、72歳の私の誕生日に子供達が3人帰って来た。次男は日本本社の招聘で、1ヶ月間大阪と奈良の研究所で研修。奈良には古来の建造物が所狭しと有り、満喫したようてある。食べ物作りが趣味であり、本場の日本の味を堪能した様子。しかし、会社は油圧オイルを販売し、その顧客はブラジル国内上から下まで、旅客機を使って商品検査歩きをしており、日本話は帰国後2ヶ月あとであった。特に95歳の義母の健康を案じていたが、いたって元気のようであった。


 未だ動きが緩慢で、特に回復に時間と忍耐が必要とする。まだ必要時だけの外出であり、色々と不便である。

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