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入植10周年の第1陣の皆さん(1972年)

グァタパラ通信転載​

前列左 石田光治 田中佳 相馬国男 鈴木照夫 林富男

後列左 黒沢典(允晴) 佐伯邦夫 鈴木重延 五十嵐正吉 各氏

 この一陣の人々は、グァタパラ移住地の構想に共鳴して移住を決意し、移住地の創設、入植の許可が出ないので2ヶ年以上も待機し、多くの損失をうけたほか、方々に陳情して漸く渡伯した人々でグヮタパラの草分けにふさわしい純粋な開拓者の心を持った人々でありますが、入植後にも実に多くの試練に遭遇し、天災、人災到るざるなしといってもいい程苦しめられたものでありました。私(近藤安雄氏)は終始身近に居たので思い出は深刻であり、現在ではまだ語り明かせないことがありますが、この人々は過去の紛争などを語ろうとせず、専ら今後に向ってどうするかということをかんがえています。

 

 入植者12戸のうち3戸が欠けました。消息のわからないのは日本に帰った大貫さん(山形)一家で埼玉県で土木業に携っていて再渡伯の希望があると聞くのみです。他の2戸は所在地がわかって居ります。

以下省略

入植10周年を迎えた第一陣の人々(1972年)

入植10周年を迎えた第一陣の人々(1972年)
入植10周年を迎えた第一陣の人々
DSC_6153
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ズモン耕地 03
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廃コーヒー倉庫 07
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延べ10キロの水路
placa homenagem martinho p junior 2
グァタパラ耕地内のコーヒー園に並ぶ日本移民(1920年頃)
アルベルチーナ駅
1889年ころのグァタパラ耕地
グァタパラ耕地コーヒーの樹海
生産物馬齢薯をラバの背につけて市場迄
ヅモン路線列車
リベイロン・プレットモジアナ駅前・
モンテイロ駅
grupo escolar 1996
puericultura, lactario, farmacia 1992
拓魂
別れのテープ
サンパウロ市ルース駅
ドラムカン風呂で入浴

Brasil サンパウロ州グァタパラは第一回笠戸丸移民が配耕されたことから日本移民発祥の地と言われています。グァタパラ耕地を中心にブラジル日系移民にまつわる話を紹介しています。

 

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