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共栄植民地

 戦後松原植民地の奥に入植予定であった北海道出身の家族等が、ブラジル人の土地を購入して定着する。1955年にはパラナ、サンパウロ州より3家族が入植し、さらに1956年には北海道から6家族が入植し、1957年はじめには22戸の入植家族になり日本人会が発足した。テーラ・ロッシャの肥沃の上に平坦な土地である。1950年代はコーヒー栽培が中心であったが60年代~70年代にかけて霜害にあい、75年の大霜では移転者も多くでた。しかしながら70年後半には大豆、ソルゴなどが穀物への転換を果した。またこの地方、乾期時期でも降雨量こそ少ないが適度に降雨が有り、冬作にも穀類の植え付けをしてそこそこの収穫量が見込める。近年共栄植民地を構成しているのは25家族で主な出身県は北海道15戸、広島県5〃、和歌山県3〃、香川県1〃、鳥取県1〃、そう内農業に従事するのが22家族であり、穀物の他に養鶏、養豚飼養。総面積5500ha耕作面積4500ha、牧畜1000ha主要作物大豆、トウモロコシ、フェイジョン、小麦、ソルゴ等である。またこの植民地に松原植民地から移転した人も在住する。今問題になっているのが隣接地に先住民のインディオのテレナとカイワ族の住んでいた土地としてFUNAI(ブラジル先住院・政府機関・国立インディオ保護財団)に訴えられ土地問題が発生している。

 付記:城田義男・おぬい(三重県桑名市出身、1953年渡伯)共栄植民地の草分け、氏は母と7人の子女を伴い10人で渡伯する。マット・グロッソ州ドウラードス郡バイロ・バレロン地区に入植し、長男芳幸氏は志津子(旧姓岩城・北海道出身)さんと結婚され、岩代修氏の実姉にあたる。岩城修氏はコチア産業組合中央会解散時の清算人の1人であり、農拓協の2002年から専務理事~代表監事を歴任された。農拓協の組合会員である現在のコパセントロ農協の理事長の城田ジョゼ氏の祖父であり、岩城氏は叔父にあたる。またこの地域には著者(林)と同船者、杉秀雄・ミツ子(山口県阿東町出身、1962年1月渡伯)氏は入植後早々に死亡され、家族はドウラードス市内に移転在住する。その他に著者と同船でジャボチカバール農学校同級で農大を卒業し、コチア組合傘下時代に一時この組合の農業技師を務めていた五十嵐直吉(グァタパラ移住地第1陣五十嵐正吉氏子息)氏を記すものである。

杉 秀雄 山口県阿武郡 生年月日 1923.4.25(渡航者名簿に記載なし)

     妻 三子   生年月日 1927.11.4

     長男 勇一    々  1950.6.8

     長女 節子    々  1952.3.18

     次女 恵美子   々  1954.10.15

住所:Parque das Nacoes S/n  Dourados M.S  Cep 79800・息女在

                       情報提供者 岩城 修

所在地:南マット・グロッソ州ドウラードス郡

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