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ジャカレイ移住地

 ジャカレイ移住地は先のフンシャール移住地と同様、旧海外移住振興会社が1959年7月31日に総面積613haを購入した。この年には僅か2ヶ月間に3ヶ所を購入し、フンシャールとジャカレイは7月の2週間前後で購入しておる。ジャカレイ移住地のすぐ横を州道ドン・ペドロ1世街道が開通し、ヅートラ街道(サンパウロ~リオ街道)も付近を通っており、移住地はジャカレイ市から6キロ地点に、サンパウロ市から67キロ東北に位置し、生産物販売には大変便利な地域である。

 都市近郊農業を行うために造成された移住地である。標高567メートルで起伏が激しく、その丘陵に挟まれた中央にはパラテイ川が貫流する。この川沿いに区画割りされ1区画割り5~8ha(平均6.2ha)であり、1部パラテイ川から離れた丘地だけの区画もあるが、大半丘地と低湿地を組合わせてある。高台は果樹園、低地は蔬菜利用であり、海岸地帯にしてはサンパウロ州内陸の降雨量と殆ど同じだがが、気温はやや温暖である。

 1961年の入植開始に33戸(176人)が移住され、その後は僅かの入植をみる。主な出身県は長野、岡山、熊本、広島、山形、その他である。入植当初蔬菜、果樹を主体とした営農に従事したが定まらず、換金物として養鶏を取り入れそれを主体にして蔬菜、果樹を組入れた営農形態にかわる。養鶏でもブロイラー飼育が多く、その後殆どブロイラー飼育となり、ブロイラーのインテグレーション地帯に変貌する。だが大きく流れが変り、営農に従事する人は僅かでジャカレイ市周辺で日系人の在住数は推定600家族、その内営農従事者になると推定40家族、事業団が造成した移住地での農業者は10家族を割るほどに減少する。また1960年初期ごろ、ジャカレイ周辺にはコチア青年で渡伯した人々が多く入植しておる。また、グァタパラ移住地入植希望者が種々の事情で入植許可が遅れたため、この移住地に入植された。

 1975年に事業団の手で「ブラジル農業移住訓練センター」を落成するが、1984年に事業団撤退に合せセンターをコチア産業組合中央会に有償譲渡され、コチア産組創立60周年記念事業として「農業学校」を落成させた。だが1994年にコチア産組が任意解散したため、支援母体を失ったコチア農学校はコオペルルラール農業高校と改名。2000年になって米州機構無償支援のメルコスールの青年を対象にした農業教育プログラムがこの学校に開始、だが2005年12月で閉校される。

 ジャカレイの町は東隣のサン・ジョゼ・ドス・カンポス市の工業化と共に近年工業都市と変貌し、そのベッドタウン化しており、農業地帯は自然に減少しつつある。

  • ここの移住地に景山 泰孝夫妻(岩手県出身)が入植。日本出発際の名簿にはイタケイラに記載されて居るが、最初からジャカレイ移住地に入植。

入植状況

主なる出身県 長野 熊本 広島 山形 その他  合計

    戸数   6  4  4  2  33    49

総面積:613HA 分譲可能面積:506HA

移住地概要89ページ 昭和50年度版国際協力事業団抜粋

所在地:サンパウロ州ジャカレイ郡

Colonia Jacarei Municipio de Jacarei Est Sao Paulo.

1974年(昭和49年)12月末国際協力事業団移住地概要昭和50年度版

入植開始年度 1961年(昭和36年)

経緯:蔬菜、果樹、養鶏等を中心とした近郊農業を行う移住者の受入地として昭和34年に旧移

   住振興会社が取得、造成した移住地である。移住者の受入れは昭和35年(1960年)

   からはじまった。営農はサンパウロ市並びリオ・デ・ジャネイロ市を一部市場とした果

   樹、養鶏、花卉を中心に行っている。

ジャカレイ移住地
入植状況
近年の影山泰孝氏( 林良雄氏と共に)

近年の影山泰孝氏( 伯国農大会館にて林良雄氏と共に)(2007.2.11)

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