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バルゼア・アレグレ移住地

入植開始年度 1958年(昭和33年)

経緯:1957年(昭和32年)、邦人自営農受入地として旧海外移住振興会社が、購入造成し

   た移住地である。入植は昭和33年から開始され山口県人が多い。

   当初はバナナ及び米を中心にした営農に従事したが思わしくなく、その後養鶏を導入し柑

   橘、アバカシ(パイナプル)などの果樹と組み合わせの経営は順調である。

 此処の移住地にグァタパラ移住地入植者鈴木重延氏の五男重雄氏単身で70年代初期に入植する。養鶏に従事しながら永年作物の柑橘を手掛ける。当時この地方の柑橘は出来さえすれば全部販売するものであった。

 またグァタパラ移住地の共同選卵技術を取り入れ近年本家より好成績を上げている。

 旧日本海外移住振興株式会社が1957年9月24日に購入し、最初に造成したのがバルゼア・アレグレ移住地である。南マット・グロッソ州テレーノス市より西方20キロ地点に位置し、州都カンポ・グランデ市より西南約50キロ地点に移住地本部があり、標高250~300メートル、地形はノロエステ鉄道の線路を中心とし北部のサローブラ川、そして南部のカショエリニャ川を移住地の境とし、川に向かって北部は比較的平坦、南部は緩傾斜丘陵地であり、主に砂壌土、砂質土、僅かにテーラ・ロッシャ地帯が散在する。

 

 入植当初はカンポ・グランデ市より移住地までの主な交通機関はノロエステ鉄道が移住地内を通過しており、地区内に駅が2ヶ所ありこの鉄道を利用する。その他に州道があったが当時は土道で雨期になると度々途絶していた。総面積36.363haで1区画割りが25haを海協連、各県庁を通して売り出される。入植は1959年5月第1次9家族がされ、1961年8月の入植を最後に57家族移住される。主に山口県人が多く、広島、島根、大阪、石川各県からの57家族であるが、僅かの日数で移転した家族を居り、定住したのは42家族であった。また移住地造成時に山口県知事が現地を視察され、県人に奨励と移住するものには県から長期貸付金が出された。日本からの入植が途切れる、それまで1区画25haをジャミック(海協連現地法人)ではブラジル国内からの入植者を対象に1区画割りを50、300、500haに大きな面積に割り直し、事業団がエマンシパソン(親権解除)撤退する1985年までに20~50haが148区画、100haが4区画、300~500haが64区画で総面積が分譲された。

 

 入植当初は陸稲を主として雑作も手掛けるし、大豆栽培をするが市場がなく、綿は安価であり、その上3年連続旱魃で大半の入植者は失敗の連続で動揺、失望が広がった。これらの問題にジャミック、外務省、県側からは在伯山口県人会のリーダーを派遣し、関係機関合同で実態調査が行われ大問題になったが、現地に即した内容を検討、対策があり、再建策を講じ、組合員1戸に500羽飼育養鶏の長期融資、また入植開始した1959年に任意組合を発足していたが、1962年12月に任意組合を発展的解消し、合法的なバルゼア・アレグレ産業組合を創設する。この組合に機械融資、短期運転資金等も獲得し養鶏事業の出発となった。組合員達は少しでも経費節減のため、5戸位のグループで鶏舎建築を共同作業を手掛ける。

 

 1961年ごろのカンポ・グランデ市の人口は約4万人で、近郊の養鶏飼育者は2家族、消費の大半はノロエステ鉄道でサンパウロから送られてきていた。組合では養鶏を着手した当初から、2ヶ所ある駅の内ペドロ・セレスチーノ駅前本部で配合飼料を生産し、組合員に供給する。養鶏を導入し柑橘、パイナップル、蔬菜等を組合せる生産者も居るが養鶏専業農家が殆どである。1970年~1990年ごろまでは南北マット・グロッソ州の鶏卵消費の90%を供給するが、その後州内にも個人飼養者が増え、1999年には60%の供給量である。また1999年6月末で初、中、成鶏合計60万羽で生産の60%がカンポ・グランデ市、40%がクイアバ、ロンドノーポリス市へ販売している。2003年6月に中央洗卵選別場を竣工し、技術的ノウハウを共同洗卵選別ではグァタパラ農協は前進のコチア産業組合時代の1977年6月に手掛けておりCAMBAの組合員が数度現場訪問して習得している。

 日語学校に関しては入植後複数の家長が2年間ぐらい交代で教えていたが、営農従事に追われ自然に立ち消える。その後1987年に若い親たちが発起して、自分達の子供、2世に日語を教え始め、今日まで継続している。

 1979年5月に発足したバルゼア・アレグレ日伯体育文化協会があり、この初代会長にルバング島で1970年初期に日本へ帰還した小野田寛朗氏が入植し牧場を経営しており、氏が推薦され初代会長に就く。近年、現地入植者も入れ44家族が在住し、養鶏を主要産業にし牧畜、柑橘、大豆栽培に従事する。

入植状況

主なる出身県 山口 広島 島根 大阪 その他  合計

    戸数 29   3  2     2    3   41

総面積:36,363HA 分譲可能面積:24,500HA

所在地:マット・グロッソ州テレーノス郡

Fazenda Varzea Alegre Mun, de Terenos, Est. Mato Grosso do Sul.

2005年グァタパラ組合とバルゼア・アレグレ移住地の子弟交流

その時鈴木重雄氏の持ち込み居酒屋の前にて

左から渡辺千代子茨城(花嫁移住)林緑茨城(花嫁移住)

吉永文子佐賀(最初パラナ州西部ウムアラーマ地方ジャウ植民地入植)

グァタパラ組合とバルゼア・アレグレ移住地の子弟交流
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