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オウリーニョス移住地と入植者氏名

 オウリーニョス地方へ日本移民が入植し始めたのが1924~25年ころであり、開拓初期にはマラリアが猖獗し、入植者がマラリアを恐れて移転しだしたが、山林を開墾しだすとその猛威もおさまり、再度入植者も増加する。1930年代の綿景気で最盛期には周辺に550家族の入植者が在住された。このオウリーニョスに戦後サンパウロ産業組合中央会傘下のオウリーニョス産業組合が旧ムンド・ノーボ耕地を購入し、組合員となる日本人移住を受け入れるために移住地を設立した。

 

入植開始年度 1961年(昭和36年)

経緯:サン・パウロ産業中央会傘下のオウリーニョス産業組合が旧ムンドノ-ボ耕地を買収し組

   合員となる日本人移住者を受け入れるために創設した移住地で、昭和36年及び37年に

   日本から17世帯現地から7世帯が入植した。入植者は旧耕地から引き継いだコーヒーを

   中心に養鶏、落花生、トウモロコシ等を組み合わせた経営に従事した。その後果樹(柑橘

   等)を導入し近時養蚕も手がける。

此処に5家族入植:

  • 服部 喜夫氏  家族5人 長野県

  • 中川 由太郎氏 家族6人 北海道

  • 田中 洋三氏  家族5人 秋田県

  • 春山 初太郎氏 家族6人 北海道

  • 富樫 末次郎氏 家族5人 山形県東田川郡藤島町

雑記:私達(グァタパラ入植第1陣の入植を待ちきれず御地に入植した茨城県出身者の長沢 弘直氏について(1961年10月渡伯)グァタパラ通信 近藤安雄。

 1962年10月23日、南米移住地視察団に同行して、佐賀・草場、茨城・徳川 徳子、長野・五味、長野県庁の奥村さん方々。

 グァタパラ入植の予定であったが、待ちきれなくなってここに入植した長沢弘直さん(茨城)が出て来て、徳川さんや私をなつかしがり色々お話をしました。

 翌日は夜来の小雨が朝まで続いたが、7時出発の頃は上ったので10数キロ離れたオウリーニョス移住地の視察に出かけましたが、あと1キロという所でバスがスリップして危なくなり、そのうちぬかるみに車輪がめり込んで動かなくなり、一同下車して、木切など集めて車にかましてみたがどうにもならず、テーラ・ロ-シャ特有のぬかるみで靴も泥んこ、天候もあやしく、進退とも出来なくなって前途を心配する人も出ました。幸い組合からジープが迎えに来てくれたので、それで組合行き、中には徒歩で突破し切った人もありましました。バスはトラクターで町迄曳行して貰うことになってやっと落ち着くことが出来ました。

 オウリーニョスは20戸、1戸4アルーケル(約9.9HA)の小組合であるが、産組中央会が計画移住地として、組合理事長のピ-ザという前の移植民院総裁の発議で昨年創始した所であり、長崎の神宮、鹿児島の磯崎さん、前記の長沢さんら新来の移住者から体験をきき、各戸の営農状況を視察したが、皆実によくやっていました。昨年10月以降に入植して今年の7月までは共同作業で、8月から個人になったが、もう皆全面積に蒔き付けを終り、長沢さんは2戸分でマンジョカ2.2アルーケル(約5.3HA)、トウモロコシ2.7アル-ケル(約6.5HA)、落花生1.7アルーケル(約4.1HA)米1.0HA、合計15町程を馬でやっており、磯崎さんも1.5HA蔬菜、トウモロコシ6,0HA作付けし、皆よく成育中、鹿児島では3年経たないと結実しないパション・フルーツが1年で実ったと、以下省略

入植状況

主なる出身県 愛媛 北海道 長崎 その他  合計

    戸数   3    3    3    10    18

総面積:239HA                 1974年(昭和49年)12月末

所在地:サン・パウロ州オウリーニョス郡

Bairro Mundonovo, Municipio de Ourinhos Est. Sao Paulo.

オウリーニョス移住地
入植状況
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