ブラジル移住の記録
クビチェック(J.K)移住地と入植者氏名
入植開始年度 1960年(昭和35年)
経緯:サルバドール市およびフェラ・デ・サンタナ市を中心とした地域への生鮮の供給。
州内農業者の定着を目的として連邦及び州が共営で創設を計画した移住地である。
此処に5家族入植
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木村 昇蔵氏 家族5人 青森県
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田沢 助雄氏 家族4人 青森県
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外崎 金一郎 家族7人 青森県
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安孫子 清吉 家族6人 青森県
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上藤 盛利 家族4人 福岡県
バイア州々都サルバドール市はブラジル最初の首都で歴史も有し、クビチェック移住地の位置するマッタ・デ・サンジョアン市も1549年に誕生しているが、それほど人口も増加せず移住地が創設されたころは、5千人程度の人口であり移住地中央から12キロで、サルバドール市から北北東に56キロ地点である。入植初期の1960年でサルバドール市の人口は60万人であり、このサルバドール市およびフェイラ・デ・サンターナ市を中心とした地域への生鮮食料の供給、さらに州内農業者の定着を目的として、連邦及び州政府が計画した共営移住地である。このJK移住地は創設当時のブラジル連邦大統領の名前にあやかり、ジュセリーノ・クビチェック移住地(略称JK移住地)と命名され、1959年1月に創設された。総面積4.900haで1区画は20~25ha、移住地本部中心にルンダ・サンペドロ、イタペセリカ、カマサリー、ケブラ・コッコの5地区に分割された。地図上で分割された土地は急傾斜地、湿地、石や砂利の極端に多い土地、水の無い所で耕作に不適当な地区もかなりあったという。設立当初、移住地中央本部には所長住宅、海協連(現地法人JAMIC)職員住宅、集会所、州立小学校、協同組合、組合売店、その他の建物が設置されていた。
日本からの入植は1959年~1962年に109家族が入植する。その他に現地入植者、ドミニカからの再移住者等を加えると147家族が入植した。
入植後森林を開墾し野菜栽培、養鶏も飼養する。その他子弟への日語教育もルンダ地区(約20名)、イタペセリカ地区(60名)の父兄によって開始された。だが耕作不向きな土地や道路事情などにより、入植初期の5年間で約半数が州内各地や南伯方面に移転する。トマト栽培に重点をおいたが、胡椒、花卉、柑橘、蔬菜、マラクジャーを手掛け、サルバドール市が主な市場である。事業団の纏めた1974年9月末の資料で主なる出身県は愛媛県16戸、長崎県10〃、福岡県10〃、青森県6〃、鹿児島県3〃、新潟県3〃、東京都3〃、宮城県2〃、その他の県11戸在住合計65家族(277名)。
1990年時代にはクプアスー、グラビオーラの栽培が行われ、近年30数家族が営農に従事し、生産物はシュシュー(ハヤトウリ)、柑橘、野菜、花卉、パパイア、マラクジャー、クプアスー、グラビオーラの果汁作物、観葉植物、またノニなどの薬用植物の生産も始めている。海岸に面しているマッタ・デ・サンジョアンは別荘リゾート地に変り、別荘地に来る人々に付加価値の高い有機野菜の農産物を販売しようと生産に取り組んでいる。
移住地の創設と共につくられたJK移住地農業協同組合があり、JK日伯文化協会も設立されている。
入植状況
主なる出身県 愛媛 長崎 福岡 青森 鹿児島 新潟 東京 宮城 その他 合計
戸数 16 11 10 6 3 3 3 2 11 65
総面積:4.900HA 分譲面積:4.900HA
国際協力事業団移住地概要昭和50年(1975年)度版74ページ
所在地:バイア州マタ・デ・サン・ジョアン郡
Municipio da Mata de Sao Joao Est,Bahia.