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グァタパラ新聞2022年1月

新年明けましておめでとうございます。

マスク着用の毎日、慣れたようで慣れない日々が続いています。


新年早々、林良雄さんからグァタパラ新聞2022年1月号が届きました。今回は一部ではなく全部ということです。ブログを更新します。


2022年新年祝賀会並びに成人式(グァタパラ農業文化体育協会)


2022年新年祝賀会並びに成人式


 2022年とし始めの朝は雲が多く、空がしらむころ初日の出は5時42分頃、まだら雲に遮られ、その僅かの隙間から部分的に垣間見る程で参拝は出来なかった。明けた東南へあけぼのインコ(マリタカ)の群れが飛び去った。


 今年の新年会々場には、上原康司副会長が最初に来ていた。会館入口左右には、恒例の門松が前日作られ飾られてあった。また、開会時には曇り空でパラパラと小雨が降っていたが、いつしかそれもおさまった。


 グァタパラ農事文化体育協会主催、新年祝賀会並びに成人式は、役員、成人者、卒寿とその関係者31名中、男性23人女性8人であった。


 午前10時を少し経過したところで、上原康司副会長から開会が知らされ、登壇案内で来賓者、成人者が登壇される。


 伯、日両国歌をCDに合わせ、今年は参加者も斉唱された。新田孝二会長の新年の挨拶から始まり、祝辞を田中万吉長寿会々長代行、斉藤長一グァタパラ農協理事長代理に頂く。


 続いて、文協より成人者へ記念品贈呈があり、二人の成人者中、明るい色のドレスを装った管野なゆりさん一人の参加であった。


もう一人は黒沢ひかりさん。


 卒寿者表彰は上村孝之氏と寺内ユキエさんで、上村氏は娘さんの手助けを必要とせず矍鑠かくしゃくした足取りで舞台へ上った。また、謝辞を上村孝之氏から「益々グァタパラ文協の発展を願って居ります。」と述べられ、寺内ユキエさんは息子寺内勝彦氏が代理で記念品を受け取られた。


 最後に田中万吉氏の誘導により、全員でお正月の歌をうたう。10時45分に上原副会長から式典終了が知らされ、舞台上で成人者を交えた記念撮影がされた。


 今年もマスク着用であったが、挨拶、祝辞時はマスクをはずしたので、声が良く通った。




年の挨拶

                            グァタパラ農事文化体育協会会長 新田 孝二


 新年明けましておめでとうございます。


 昨年始めも、新型コロナウイルスの感染が地球規模で拡大していましたが、半ば頃から2回目の予防接種の効果があり、生存の危機と生活の困難に直面していた現状が少しずつ緩和する気配が見えてきた矢先、また新たに変異株が発生し、引き続き何らかの対策に追われる一年になろうかと心配しております。

これからも、正しい情報を的確にとらえ、主体的に考えを判断して行動することを忘れず、コロナ危機を共に乗り切っていきたいと願っております。そして何より医療分野で懸命な御尽力を続けていらしゃる方々へ、心からの感謝を忘れず持ち族けていきたいと思っております。


 私事で恐縮ではございますが、昨年会長を引き受けるきっかけになったのが、定年を迎えたら何をしたらいいのかネットで調べていた矢先でした。色々ある中、三つの教えで、一つ趣味を持つこと、二つ目が地域の奉

仕をすること、三つ目ができるだけ寄付をしないさいとあった。寄付といってもお金だけでなく、自家製の物、要らなくなった衣類や器具と書いてあった。


 これに従い、一年間文協も市役所と連帯してコロナで仕事を失い、食料を必要としている方達の支援を積極的に進めて来ました。59年祭を祝うことはできませんでしたが、年間の必要事業がスムースに実行出来たのは、よき理解者のパートナに恵まれたことと、経験のない私に役員の方々を始め、協力を惜しまず支えていただいた皆様のお陰だとお礼申し上げます。


 今年、新たに寺内ユキエ様、上村孝之様のお二人、つつがなく卒寿を迎えられました事を心よりお慶び申し上げます。いつまでも健やかにお過ごされますよう、お祈り致します。


 今年の成人者は女性お二人です。


 終わりに、一日も早く皆様と明るい話題を共有出来る年となることを祈念して、新年の挨拶とさせていただきます。

                                       2022年1月 元旦




祝辞 新年の挨拶

                               グァタパラ長寿会会長代行 田中 万吉

 

 新年明けましてお目出とうございます。


 私、グァタパラ長寿会会長でありました、佐伯知治さんが、一身上の都合により、と辞任届を提出されましたので、長寿会では役員、監事会を開き、長い間の、新型ウイルス、コロナ禍の中、総会も出来ず、もちろん役員改選も出来なかったので、佐伯さんには一時、会長職をお休みして頂き、長寿会総会が出来る様に成るまで、総務の私が会長を代行する事になりました。


 長寿会では、一昨年の途中、始めの頃より、昨年は一年間コロナ禍により、活動を中止お休みしています。


 長寿会員はもちろん、皆さん高齢でありもし感染しますと重症化しますので、矢張り慎重に行動しなければなりません。会員の皆さんはさぞかし、コロナ禍は早く収束、元の日常に戻り、皆さんで集まってつもる話しが出来る様に成る日を首を長くして待っている事と思います。


 文協始め、移住地に日常が戻り入植60周年祭が無事挙行出来る様になるのを願ってやみません。


 そして成人者の皆さん、ご成人お目出とうございます。昨年、今年と、参加者はお一人ですが、移民の二世、三世の人達が、結婚されても移住地に住む人が少なく、移住地で子供が生れなかった年が何年か有りました。丁度、その過度期で有ったかと思いますが、グァタパラで成人された事を思い出に健康に留意され、大いに頑張って下さる事を願って、簡単ではございますが、私の挨拶とさせて頂きます。

                                         2022年 元旦




祝辞


  グァタパラ農業協同組合理事長代理 斉藤 長一


 新年明けましておめでとうございます。


新しい2022年の年を迎えまして、グァタパラの皆様のご健勝とご発展を心からお祝い申し上げます。又、昨年も当グァタパラ農協にご支援ご協力いただいて厚く感謝申し上げます。


 昨年は世界中、コロナ一色で大変な世の中でした。ブラジルは世界で3番目に多い死亡者を出しました。世界で500万人以上の人が亡くなり、ブラジルは60万人以上の人が亡くなりました。又、最近ではオミクロン株という新しい株が発生しています。伝染速度が速いと言う事ですが、あまり重症にならないと聞いています。しかし、お互いに気をつけましょう。


 当ブラジルは昨年8月ころより、バシーナのせいでだいぶ感染が減ってきています。最近なんかは特に減ってきています。でも、2年間も続いたコロナ対策で、ブラジル経済に相当な打撃を与えています。ブラジル経済が弱いせいでドルの価値が上り、レアルの価値が下がりました。そのせいで輸出産物の穀物、特に大豆、ミーリョ、鉄鉱石等はよかったですが、その穀物を消費する畜産産業は、高い飼料代金に悩まされています。


 我々の養鶏も、散々な目にあっています。昨年は、一昨年の夏に雨が遅れたせいで二期作目のミーリョの植え付けが遅れ、雨不足になり又普通ならこない霜が6月、7月ときて減収となりミーリョ高騰の原因になりました。消費のほうも学校、旅行関連が閉鎖されて、消費のがた落ちになりました。それにもまして、最近は失業増大とインフレによって庶民の購買力が減少して、ロックダウンが解消されても元に戻っていません。とうとう三年目になってきています。こんなに長い養鶏不況はブラジル養鶏史上初めてではないのでしょうか。でも、今年こそはと思ってがんばっています。皆さんお互いにがんばって行きましょう。


 私はユウチューブを見ていて次の言葉を覚えて、がんばっています。『人生、苦悩するときが華である。』なぜならいつかきっとこの苦労、苦悩も終わると思います。その時に、人生を振り返って良くぞあの困難なときを、良く乗り越えたと思い出すように成れるかなと思っています。それがどんな結果になっても。早く数年後にあの時は大変だったなあという話をしたいです。こん度、卒寿を迎えられたお二人の方おめでとうございます。これからも長生きしてください。


 このたび成人式を迎えたお二人の方おめでとうございます。あなた達も過去2年間のコロナの影響で社会に旅立っていくのに、きっと大変な思いをしている事でしょう。でも、若いあなた達だからきっと良い将来が待っています。頑張ってください。

     2022年1月 元旦



■12月文協の主な経過報告


12月11日-役員会のその議題


(1)今年度限りで、事務職員の斉藤明美さんが退職。代りに海老沢クリスチアーネさんが明美さんの所の職務に着き、クリスチアーネさんが扱っていた職務に落合ビアトリースさんが担当するので採用し、業務は今まで通り午前7時~12時まであるが、受付は11時30分まで。

  これをきっかけに、一部会計書類作成の変更予定。また、支払い代金のクレジット・カード支払いも、今後の課題として検討予定。


(2)屋内サッカー場の両脇寒冷紗取替え工事予定。


(3)イベント会場の鳩追い対策案、会場、炊事場の雨樋の取り換え工事が承認される。


(4)舞台出口取り付け工事の案は充分検討が必要である。


(5)来年の入植60周年祭予算案もボツボツ検討予定が必要となる。


(6)60周年記念事業として入場門工事(案)。


(7)入植祭にトイレの水が不足するので、もう一つ水槽タンク設置が承認される。注意事項として、お祭り開催まえの2週間位前にカルキを投入し掃除.を心掛ける。


(8)モンブカ湖畔内清掃。2~3名の市会議員の提案で、一般企業に協力を仰ぎ、その協力が取り付けられたら、実現予定。


(9)堤外地RSV36号の貸地場所で、牛の不法放牧と魚釣り場所問題は即急な解決は難しく、時間が必要とする。


(10)新年会の参加は会員全員に知らせ、その準備を12月31日午後2時より、役員全員で準備する。成人者2名、卒寿者2名。


(11)その他・野球場のアランブラード設置の件は、今後充分検討を必要とする。

   ・水道委員会の水タンク車は必要であり、現在の車両では古くて限界であり、購入を検討する。

   ・文協主催の新年野球大会は2022年1月2日に行われる。

   ・中プールのローナが寿命であり、取り換え工事を行う。

   ・水道委員会では、屋外サッカー場周辺を市役所が埋め立てた所、会館に給水する配管が埋設されてあ

    り、今後住居工事が実現すると、配管を迂遠しなければならない。

   ・19月、11月分の砂代金が入金された。

   ・長い間日本語普及に協力して頂いた、在伯長野県人会が活動資金難で苦しんでいる現状を踏まえ、今

    度グァタパラ文協では、その長野県人会に活動資金の一部として1万レアイスを寄付した。



水道・機械委員会

 

10月の経過報告

 

 ・不用品の売却。

 ・車庫ポルトンの修理。

 ・大野氏付近3ヶ所、佐伯氏付近1ヶ所の漏水修理。

 ・四号井戸水槽タンク上部穴あき修理。

 ・水量計のヘレー(継電器・リレーとも)2ヶ購入。

 ・上田氏のストップバルプ点検。

 ・PVC用接着剤購入。


11月の経過報告


 ・6号井戸のヒューズ交換。

 ・パーシャベルのリング3ヶ交換。

 ・下水道管の売却。

 ・斉藤五郎氏付近の水道管修理。

 ・脇山謙介氏付近の水道配管修理。

 ・一号井戸のヘレー(継電器)交換。



長い間ご苦労様


 2021年一杯で、事務職員の斉藤明美さんが退職された。旧姓の倉持さん時代の1981~85年の4年間。そして、結婚後斉藤さんになって1991年半ば~2021年の30年間、本当に長い間文協会員のためとはいえご苦労様でした。1990年代は幼児子供を抱えでの勤務は大変そのものと察しするものの、親の手を借りての勤めと思います。また、子供の病気など子を思う母親の気持ちはやるせなく、断腸の思いと拝察します。苦楽も長い人生で過ぎ去れば思い出深いものです。長い間ご苦労様、大変お疲れ様でした。



無名ワッツアップに注意


 現在交信の主流がワッツアップ。しかし、時にはこの無名ワッツアップを開けると、1分未満でスマホの内部情報をコーピーされ、それが悪用されて俺々サギと類似する被害が相次いで発生している。


 また、コーピーした情報でその人に成り済まして送信されるので、受取人はその被害に遅れて気付く事もあり、不信なワッツアップには入らない事が肝要です。



全伯俳句紙上大会

(投句総数345句、投句者数69名)兼題冬季一切


特作


お日様をおんぶしている日向ぼこ 高木みよ子


ひらめきの一句忘れて老の冬   高木みよ子


秀作


老いの身に直角に冬やってくる  高木みよ子


友いきて空しさつのる冬の空   高木みよ子


日向ぼこ聞いて忘れて又聞いて  高木みよ子


寒暖に惑いて冬芽育ちおり    田中 独行


弔問をはばむコロナ禍星凍てる  近藤佐代子


裏作の背丈揃わぬ乾季かな    近藤佐代子


皆さんおめでとうございます。



散歩道

脇山 すみ代


 モジ・ダス・クルーゼス近郊の小さな町グァラレーマ(ジャカレイ移住地の近く)に住んでいる三女が孫にせがまれて里帰りをした。


 コロナ感染が最も広がった今年3月、ひいじいちゃんが転んであばら骨を4本骨折し、4日間入院した。病院で院内感染をしてしまった。40日間入院した末亡くなった。87歳になったばかりであった。家族に感染者がでると家の中でも全員マスクを付けなくてはならない。9歳児も5歳児も。食後は食器洗い、手洗いと消毒といままで以上に神経を使わなくてはならない。


 そんな中、休みたいと孫といっしょに帰って来た。6月上旬のまだ肌寒い時期であった。

朝5歳の孫(男の子)と散歩に出かけた。50メートルも歩いた頃、「ぼくとけちゃいそう」と道に座り込む「どうしたの」と聞くと「ソルベッテみたいにとけちゃうよ」と言う。みると汗がにじんでいた。この肌寒い朝に汗びっしょり、プールに入りたいとせがむ。「えーっ」とびっくり、子供用のプールを開く、大喜びで遊んでいた。私達は肌寒いのに、グァラレーマ方面からみれば真夏日の様との事。

温度の差におどろかされた、孫との朝の散歩道での出来事でした。



■日語学校生徒作文


オンライン交流会

     佐伯 真依


 私はJICAのオンライン交流会に参加しました。オンライン交流会ではアメリカ大陸に住んでいる日系中学生達がオンラインで集まりました。


 最初は10月8日に行われた「オンライン運動会」に参加しました。この「オンライン運動会」ではチーム分けがあり、私は赤組でした。赤組であるという目印のために赤いTシャツを着て参加しました。運動会を始める前にみんなの宝物を紹介しました。すぐ取りに行かなければならなかったので、私は部屋に飾ってあったスノードームにしました。その後、リレーを行う前に走者を決めるために赤組の人達と会議を行いました。リレーでは腕立て、スクワット、腹筋、ジェスチャー、お絵書き、以心伝心がありました。私はジェスチャー、お絵書きに参加したかったのですが、ジャンケンに負けたので以心伝心にしました。スクワット、腕立て、腹筋は無事成功し、ジェスチャー、お絵書きと以心伝心も上手くいきました。結果は白組が優勝、私の赤組は負けてしまいましたが、楽しかったです。その後に20分おしゃべりする時間があったので参加しました。みんなとっても日本語が上手だったのでおどろきました。


 その次の交流会は10月22日に行われた「日本人と妖怪」です。始めに講師の方が世界にいる沢山の妖怪達を紹介してくれたり、みんなで様々な妖怪達の特徴について考えたり、妖怪の謎に迫っていきました。それからグループに分かれて火車と付喪神つきもがみがどんな妖怪か相談してあてるゲームをしました。火車につ

いてみんなの意見を聞いてみると、町中に現れて悪いことをした人を地獄に連れて行く妖怪じゃないかと思いましたが、正解は悪いことをした人の死体をさらう妖怪でした。不喪神については物を大事にしない人達を驚かす妖怪だと思いましたが、道具の精霊でした。その後、別のグループに分かれて自分の回りにどんな妖怪がいるのか想像して話しました。たとえば朝早起き出来ないのは妖怪のしわざだと考えたり、ゴミを遠くからゴミ箱に投げる時入るのも、妖怪が原因なのではないかと色々話しをしました。その次にはグループにいるみんなと一緒に妖怪を作って他のグループに紹介しました。私達のグループではスマホ歩き禁止するために、地壁じかべという妖怪を作りました。地壁は名前の通り地面から出現する妖怪で、スマホ歩きをしている人を閉じ込める妖怪です。地壁から回避するにはスマホ歩きを辞めなければなりません。この妖怪について説明してくれたのはだいき君で、妖怪の絵を描いたのは私と二人の友達です。「日本人と妖怪」が終わってから、残って話しをしましたが、あまり時間がなかったのでみんなとワッツアップを使って話しを続けることにしました。チャットはまるでメッセージが流れているかのようにとても早かったので、私が入力している間には、もう話題が変わってしまうので、絵文字やスタンプしか送れませんでした。さらにみんな流行言葉を使うので、分からない言葉が沢山ありました。たとえばぴえん、おつ、メンヘラなど様々な言葉が使われたりしました。今少しずつ覚えています。


 最後に参加したのは11月5日に行われた「オンラインホームステイ」です。私のホストファミリーは後藤さんファミリーで、同じグループだったのはグループチャットに参加しているパラガアイのすずさんと、ブラジルのサンパウロに住んでいるかずひこ君でした。グループでは自己紹介をしたり、家族の紹介、町の紹介、学校生活、好きな事、お休みの日にする事など話しました。その後、みんなで話した事を発表する人を決めました。「オンラインホームステイ」はみんな始めてだったので、経験者のすずさんに決定しました。発表は好評だったのでとてもうれしかったです。最後にみんなで写真を撮りました。


 オンライン交流会に参加した人達や、日本に住んでいるホストファミリーのみなさんといつかまた会ってみたいです。交流会はとても勉強になったので機会があれば、また参加したいです。

 この様な交流会を行ってくださって、ありがとうございました。


  

晴天の霹靂

            

 戸主・岸田亀蔵が1933年5月21日の死亡により、中野昨之助の甥・中野吉夫を相続人とし、改めて岸田吉夫父・中野福松、母・中野こまつ夫妻の四男、生年月日は1914年1月18日。両親の中野福松・こまつにはさらに長女まゑ子1916年10月4日、次女なるこ1921年2月3日、三女すまゑが兵庫県神戸市入江通りで誕生。すまゑの生年月日は1924年10月20日.夫、小川史郎は福井県遠敷郡今富村湯岡で生年月日は1916年5月1日、小川岩蔵・灬己の次男として誕生。1951年5月1日に中野すまゑと結婚。

小川史郎は1986年7月11日享年70歳、福井県小浜市湯岡で死亡。


 岸田吉夫は1944年6月1日に竹村淑(父・竹村正興、母ユキの長女として1925年7月22日誕生)と結婚。翌1945年7月26日長男・眞尚(まさなお)が誕生。その後、1950年3月8日離婚調停が成立。

 桑名いね、1921年10月3日・茨城県那珂郡八里村大字吉丸、父桑名清太郎・母なか、の五女として誕生。

 岸田吉夫は大阪府堺市西湊町から、1952年10月24日に転籍届けを出し、茨城県那珂郡大場村(大宮町)大字三美において桑名いねと1952年10月25日に婚姻。1953年9月14日・長男博志誕生、1955年1月30日・長女福子誕生、1957年1月19日・次男猛誕生。


 法廷相続人の範囲は、配愚者と第三順までの血族相続人に限られる。親子は一親等、父母、孫は二親等、兄弟も二親等、甥、姪、おじ、おばは三親等、従兄弟は四親等。相続人の説明(グーグル引用)。


 相続人全員が相続放棄した場合、利害関係のある人(被相続人にお金を貸していた人など)。相続放棄は親族のだれかが申し立てなければならない。


 相続財産管理人が選ばれたら、相続人の捜索が行われる。そこで改めて、相続人がいないことが判明すると相続財産の精算をすることになる。ここでの精算とは、被相続人が借金をしていた人にお金を返したり、特別縁故者へ財産を与えたりすることを指す。特別縁故者とは被相続人の生前に、身の回りの世話をしたり介護に努めた人、長らく生活を共にした人など。


 前置きが大変長くなった。


 被告鈴木福子、岸田猛の叔母小川すまゑが2019年2月9日(享年95歳)に死亡すると、子供の無かった小川すまゑの相続財産管理人が選ばれ(ここでは大家で地主が原告・小林晃治)。捜査の結果8人の相続該当者中、5人は挙ってこの相続放棄を神戸地方裁判所へ提出した。早い人で渡部なるこ(姉)の2019年3月18日、中野博、茂(甥)の2019年8月2日、洲崎(すざき)一男(甥)の2019年9月2日、竹村眞尚(甥)が2020年4月21日に提出する。


 移住している照会対象者(被告)の岸田博志、鈴木福子、岸田猛の三被告らについては、ブラジルに転居した後の所在が知れなかったため、神戸家庭裁判所に不在者財産管理人選任の申し立てを行ったが、裁判所の調査で住所が判明したことにより、前記申し立てを取り下げた。


 2021年2月に成って、日本在住の岸田博志は相続放棄を提出した。が、ブラジル在住の鈴木福子、岸田猛は法務省からサンパウロ総領事館経由で、2021年11月24、25日に両者において48枚の書類が届く。

 その訴状内容は、語句は辛辣この上も無く、尻込みを覚える程のものである。


 請求趣旨として 


(1)被告らは、原告に対し、別紙物件目録:地積75,04㎡内の木造亜鉛メッキ鋼板葺に2階建、1階55,75㎡、2階42,58㎡の土地を明け渡せ。(これは本件の建物が原告の土地を占有している)。この土地を明け渡せ。


(2)被告らは、原告に対し、40万5,000円及び令和3(2021)年5月1日から上記明け渡し済みまで1ヶ月1万7,000円の割合による金損を支払え。


(3)訴訟費用は被告の負担とする。

   建物収去土地明渡等請求事件

   訴訟物の価額189万1,777円

   貼用ちょうよう印紙額 1万5,000円


 その他、残り11項目あり。


土地賃貸借契約書は契約日平成17(2005)年5月1日であり、登録印鑑の捺印あり。

賃料払いがニ回以上怠ったときには無催告解除特約の定めがある。


 最後に、今回の被告等鈴木福子、岸田猛がグァタパラ移住地おいて、現在も日本国籍者が沢山在住するので、この件のように全然認識の無い叔母小川すまゑの死亡で、日語の読解の出来ない被告には、正に事実は小説より奇なりの様な災難が降り懸る晴天の霹靂の出来事。打開策を求め、相続放棄の書式を知りたく、サンパウロ総領事館へ打診すると、日本から届いた物を発送するだけと言われ、届いた書類中の裁判所内の二つの国際電話番号に掛けるが、通話中なので更に夜10時~11時まで十数回電話を掛けるが繋がらず、翌日早朝4時~5時まで10数回掛けるが、やはり繋がらずであった。


 已むを得ず、今までの知識を駆使して

『 神戸地方裁判所 殿

令和3年(ワ)第814号建物収去土地明渡等請求事件。

 被相続人故小川すまゑの相続放棄をします。

       2021年12月27日

   鈴木 福子 サイン・サイン証明 』


 同文のものを岸田猛も作り、ローマ字綴りでブラジルの住所を記す。


 この一連の出来事を移住地の皆さんに知らせ、この様なことが起きた時に応用して頂くよう紙上に掲載した次第。司法処理は不可欠である。支払い督促を無視し続けると、債務者の財産を差し押さえるための法的な手続きが進められ、仮執行宣言を求めることが出来、認められれば強制執行で財産差し押さえが可能になる。今日、司法提携のある日本とブラジルなので充分注意が必要。


 本来、司法書士による書類作成を必要とするが、取り合えず一度神戸地方裁判所に相続放棄届けを送って認められなければ、リベンジ今度はブラジル内にこれ等に詳しい人を見付ける必要がある。(敬称略)



岸田姉弟


 今月号で取り上げた岸田姉弟は、自宅(編集者)の2軒先約350メートル上で、私が現地入植する1年半前から、移住地内農地交換分合で入植したが、その頃はまだ最初の住居から馬車で通っており、住居の移転は私より遅かったが、すでに桑畑は出来ていた。同窓の回想録に触れる前にこの姉弟を記したい。


 私が日本の群馬県立蚕業学科で研修後、帰国し残りの学業に通いながら、事業団でグァタパラ移住地内現地入植が受け入れられ、面積の広い雑作地に農地を求め開墾を始めた。桑畑造園時には桑苗の植付を姉弟で手伝って頂き、蚕の掃き立てが出来、収繭後の毛羽取り時には幾度となく手伝って頂いた。その頃、長男の博志君は地元事業団支部機械斑に勤め、主力は弟の猛君であった。水道設備の無い頃であり、生活用水を求め、地下水の高い所に4軒集まり、一番上手であった岸田一家の農地で井戸は18メートルのもので、因み私の所は4メートルの深さであった。井戸が深いほど、この水汲みが大変であった。


 時して同じ頃、同船で私の長兄入植地の二軒上で、同じ茨城県出身の鈴木重延氏五男重雄君が、やはり事業団管轄の南マット・グロッソ州テレーノス郡ヴァルゼア・アレグレ移住地へ現地入植。移住地の入植開始は1958年。この移住地には、終戦後なおかつ30年近くフィルピン・ルバング島山中に潜伏していた軍人小野田寛郎ひろお氏が1974年3月12日に内地帰還。郷里の和歌山県へ帰るが、その数ヶ月後の1975年にブラジルで牧場を営む次兄を頼って渡伯し、その後この移住地に入植をしている。私達養蚕青年部が訪問した折、当地の事業団支部所長であった三宅氏の計らいで歓迎会が模様しされ、初代文協会長であった小野田氏が、農場からクロースバイクで駆け付けて頂いき、元気を示された。グァタパラ移住地から約800キロの道程。


 饒舌の博志君に対し、猛君は寡黙であるが柔道を嗜むタイプ。福子さんも言葉少ない人であったが、何時も微笑みを浮かべ、笑顔がこぼれ落ちていた。


 70年代終り頃、ヴァルゼア・アレグレ移住地鈴木重雄君の所へ嫁ぎ、猛君もトラクター、自動車等を兄博志君に置いて、やはり南マット・グロッソ州都カンポ・グランデ市へ移転した。ヴァルゼア・アレグレ移住地から約50キロの道程。また、この移住地内にバウル市から発車する鉄路が通過しており、ボリヴィア国へ辿り着けた。


 二年に一度の割合で鈴木重雄・福子夫妻は、グァタパラ移住地墓地内に眠る両方の両親の墓参を兼ねて、移住地の入植祭に訪れるが、猛君とは母親いねさんが亡くなるまで一度も会っていなかった。日本就労後、現在カンポ・グランデ市内に店をかまえている様子。


 今回の事で、私の独立当初に助けて頂いた細やかな答礼になればと思うもの。



俳句 グァタパラ俳句会 

 

囀さえずりのふくれあふるる大樹かな 富岡 絹子


焼野原環境汚染が深刻に       林 みどり


焼野なる広き大地をただ眺め     菅原 治美


乳のみ児の手足のくびれ暖かし    近藤佐代子


囀や小川に森の有る住ま居      田中 独行


囀に音色のありて恋の唄       脇山千寿子


焼野原大地の息吹き雨を待つ     高木美代子


娘と孫の真心ぬくし手編かな     脇山クララ


〔次回兼題〕短夜、蜘蛛くも、草刈り、当季雑詠



【編集後記】


 久し振りに、日語生徒の作文に目を通した。プリント式で1年経過したが、その成長振りには目を見張り文章、助詞、句読点、字形も上達して確りしたものになった。対面式授業でなくても、この成長には惜しげなく称賛を送りたい。


 コロナ禍の煽りなのか、移住地の基幹産業の養鶏不振が2ヵ年も続き、いささか元気を失い今後の継続を考えさせられていると、友人から戦争を知らない我々だが、両親達や多勢戦争経験者が苦しみ過した4年間に比べれば、まだ半分と言われた。その言葉に暫しばし考えさせられ、比較出来る年数ではないが、この様な受け止め方もあるものだと知らされた。あらたまの年に、希望を託して邁進しよう。

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