戦前に日本人が働いたサンタ・オリンピア農場にも連れて行っていただきました。
1912年に第三回移民船厳島丸日本移民24家族が配耕された農場です。
サンタ・オリンピア農場については、林良雄さんのエッセイ「我がグァタパラ耕地」の第二部第六章の「厳島丸第三回日本移民」でも紹介されています。
(HP管理人)
サンタ・オリンピア農場内の労働者住宅です。VW社のFUSKA車が見えます。
QUEIJO(チーズ)というあだ名のANTONIOと私が話をしています。(近藤四郎さん解説)
住宅玄関前のQUEIJOです。毎日乳牛の世話をしています。(近藤四郎さん解説)
QUEIJOの奥さんのルーシアとインコです。 バケツは鳥の餌でも入れているのでしょうか。(近藤四郎さん解説)
サンタ・オリンピア農場内のアルマゼン(雑貨屋)兼 バール(飲み屋)の跡です。 数年前から無人です。(近藤四郎さん解説)