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グアタパラ耕地散歩 2

グアタパラ耕地跡の続きです。

イタリア人のマルチーニョ・プラード・ジュ二オール氏がコーヒー農場を創設したことからはじまったグァタパラ耕地は、総面積1万5,000ha、最盛期には211万本から30万俵のコーヒーを生産し、南米一の模範農場と言われていた農場です。

最初はイタリア人移民が働いていましたが、第一回ブラジル移民船笠戸丸で渡伯した日本人移住者781名のうち88名が配耕されたことから、日本人移民発祥の地のひとつと言われています。

微かに残る遺構からもその規模の大きさを彷彿することができます。

グアタパラ耕地の歴史については、林良雄さんのエッセイ「我がグァタパラ耕地」の第一部第二章のグァタパラ耕地の歴史と由来を参照してみてください。

(HP管理人)

これは、農場内にあった初等学校(GRUPO)へ上る階段です。(近藤四郎さん解説)

初等学校(GRUPO)の土台です。(近藤四郎さん解説)

かつてはここに、こんな校舎が建っていました。(HP管理人)

1800年代に建てられたコーヒー精選場跡です。アルベルチーナの名前が刻んであります。(近藤四郎さん解説)

コーヒー運搬トロッコの足場です。乾燥場から精選場に通じていました。(近藤四郎さん解説)

傾斜地の道路保全のレンガの壁です。(近藤四郎さん解説)

TETPAって書いてあるのかな??(HP管理人)

樹がレンガ壁に根を伸張していました。(HP管理人)

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